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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

苗木城 岐阜県中津川市苗木 2015.6.24 訪問お知らせ


~ 築城主:遠山直廉 築城年:天文年間(1532) 主な城主:遠山氏、森氏、川尻氏 廃城年:1871(明治4年)
主な遺構:石垣、堀、井戸 ~

 
苗木城跡の城域は、城郭の主要部である内郭部分が約2万㎡、外部郭も含めると約35万㎡に達し、そのうち 156.774㎡が昭和56年4月22日、国の史跡に指定されました。城跡は市内を問う愛に流れ貫く木曽川の右岸、一段と高くそびえる城山(432m)にあります。木曽川から山頂の天守跡までの標高差は約170m、自然の地形を有効に生かして築かれた山城です。苗木城の築城時期については、1532年頃に築かれたとする説など諸説がありますが、定かではありません。その後戦国の動乱の中で遠山氏は苗木城を追われますが、関ケ原の戦いの後再び城主となり、以後明治維新まで12代にわたり苗木領を治めました。苗木城の特徴としては、岩山という地形に制約され、利用できる土地の確保が困難であったため、巨岩等を利用した建物の構築方法(懸造)があったこと、また総延長約500mの石垣には多種類の積み方が見られることがあげられます。(苗木遠山資料館入場時入手のパンフより)
JR中央線中津川駅前にあった案内図…1番のりばから、北恵那交通バス、加子母~不知~市民病院方面のバスで、「苗木」バス停下車、徒歩約20分。  中津川駅…
 
バスで移動の途中玉蔵大橋から。…遠くに恵那山を臨む…
 苗木バス停… 少し歩くと「苗木城跡」への案内標示が見える…  バローに来て、ここを左折…
   
苗木城跡400mの案内標示… 苗木城公園のところにあった「苗木城跡案内図」…
 
 苗木遠山資料館を目指して歩く…  途中にあった苗木遠山家廟所… 
     
 苗木遠山資料館入り口のところにあった案内図より…三の丸から天守閣方向へ歩いた…  
  
 苗木遠山資料館に着いた。資料館に入ってすぐ右に「風吹門」(三の丸の出入り口にあった。門には潜り戸が付き、城主在城以外は閉ざされていたといわれている)(資料館の説明板より)  資料館の右手から城跡へのルートへ…
     
 苗木遠山資料館に展示の「苗木城模型」…1871年に廃城になるまで遠山氏12代の居城だった
     
苗木遠山資料館の横の道を通り、ここから自動車が通れる道に出る…  巨岩が通り道のそばに時々見える…
    
 苗木城跡の標示柱…  道の両側には往時を偲ばせる石垣が… このような看板が…「転落の危険性があり、見学は自己責任で!」との注意書きが
     
 ここの石垣は「打ち込みハギ」か…道の両側にこのような石垣が続く
     
 暫く歩くと、虎口が見えてきた…風吹門跡のようだ。城下から三の丸への出入口に位置する。大手門とも呼ばれていた(苗木遠山資料館に展示してあった門)  大矢倉跡…自然の石と石垣を組み合わせている
     
 大矢倉跡を違う角度から見る…苗木城最大の櫓建築だった(右の写真の説明より) 
     
 
 駈門跡…大矢倉跡の上から見る  大矢倉跡辺りから天守を臨む… 
     
駈門跡のところから四十八曲りへの入り口…
 
大門跡…苗木城で最大の大門。二階建てで三の丸と二の丸を仕切っていた。(右の写真の説明より) 
     
 大門を入ってすぐ左の巨岩を見る…
 
 御朱印蔵跡…朱印場などの重要な文書、刀剣類が納められていた。   二の丸跡…遠山家の住居や家臣が集まる部屋があったとか。
     
 本丸・天守展望台の下にあった案内版…  本丸より天守展望台を見上げる…
     
天守の柱があった穴を再利用して展望台を作っている。木曽川や恵那山を臨む…この天守は、懸造(かけづくり)といい、急峻な岩に囲まれた土地に建てられたため、平らな土地がなかったことから清水寺のように外に張り出た建築技術を使い工夫をして、スペースを確保した。屋根も壁も板葺きで、三階建てだった。
 天守展望台…
 木曽川と遠くに城山大橋(?)が見える…  礎石の柱穴?…  馬洗い岩が右手に見える…
馬洗岩…天守台の南下の大岩の説明。馬洗の名前の謂れなど説明板参照 本丸・天守より降りて玄関口門のところへ来た… 玄関口門辺りから天守展望台を見上げる…
 本丸より下の曲輪(帯曲輪)に降りてきた…   笠置矢倉跡…本丸から見て西の方向にある矢倉。笠置山に向かって造られた物見矢倉。素晴らしい眺望
      
  
菱櫓門跡辺りから見る「大矢倉跡」…  菱櫓門跡… 
坂下門跡…二脚門でその礎石と手前の石段がよく残っているとか
 
坂下門跡の説明…右の写真は礎石と石段
綿蔵門跡…本丸へ上がる道を遮る形で立っていた。綿蔵門の名前の由来は右の写真を参照 
      
最初の大矢倉の所に戻ってきた…
 
 ここ(駈門)から、四十八曲りに入り帰途に付く…先に竹門が見えてきた(竹門の説明は右端の写真参照)
 竹門の柱の礎石のようだ…  右に降りていく方向が四十八曲り… このように鬱蒼とした山道だが、歩きやすい…
 このルートもあちこちに石垣が…道はやや狭くなった。雨上がりだったので、多少落ち葉が濡れて滑りやすかったが
     
 
 苗木遠山資料館で入手のパンフより、苗木城には6タイプの石垣があるとのこと。この石垣は「谷積み技法を用いた石垣」か?落積みとも言われているとか。  四十八曲り道の出入口…別名”大手口道”とも呼ばれていたとか。三の丸跡まで標高差150mの急峻な道(詳しくは下の写真説明を参照)
     
 
アスファルト舗装の道に出て、ひたすらバス停を目指して歩く…  少し歩いて振り返る…苗木城跡のある城山( 432m)が見える 
     
この玉蔵橋バス停が最も近い…ここから中津川駅行のバスに乗る(そこそこの本数ある)
 
交通アクセス:JR中央線中津川駅から北恵那交通バス「苗木」下車徒歩20分
※「苗木城 岐阜県中津川市 ~巨岩・石垣と懸造(かけづくり)で築かれた珍しい山城~をYouTubeにアップしました。こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください!

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