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水戸城ー茨城県水戸市  2013.3.15 訪問お知らせ

 〜 築城者 馬場資幹 築城年 1190-11988(建久年間) 主な城主 大掾氏、江戸氏、佐竹氏、徳川氏 廃城年 1871年 遺構 門、藩校、土塁、空堀 指定文化財 茨城県史跡、国の特別史跡(藩校) 日本100名城(14番) 〜
水戸駅の北側の丘陵に築城された平山城。本丸の西側に二の丸が、さらに西に三の丸が配されていて、それぞれが空堀で仕切られていた。今はこれらの堀は、道路及び鉄道が走っている。城郭には石垣がなく、すべて土塁と空堀で構成されている。写真で分かるように空堀、土塁の規模はかなり大きい。しかし、徳川御三家の割には、名古屋城と和歌山城に比べると、かなり質素であった。天守は建造されず、3重5階建ての御三階櫓があった。御三階櫓は明治の解体を免れたが太平洋戦争時の水戸空襲で焼失し、以後再建されていない。城跡は二の丸、三の丸付近が整備されており、土塁、空堀が現存している。また、水戸藩校であった弘道館(国の重要文化財、特別史跡)及び薬医門(茨城県指定有形文化財)が現存している。
築城は平安時代末期まで遡り、常陸国の大掾であった馬場資幹が建久年間(1190-1198年)に築城したと言われている。以後、馬場氏の居城となり佐竹氏が入城するまで「馬場城」と呼ばれていた。1416年室町時代に江戸通房に敗れた。江戸氏は170年間続いた佐竹氏は秀吉より常陸54万国を与えられた、後の関ヶ原の戦いの折曖昧な態度で終始したため、1602年、徳川家康から追放され、出羽国秋田に転居させられた。その後は徳川家が城主となった。
水戸駅のすぐ北側に城跡が広がっている.本丸、二の丸、三の丸の位置関係を見て! 空堀の跡が道路になっている
     
 水戸光圀が生まれた「義公生誕の地」があり、今は水戸黄門神社
 
左側が旧二の丸 (現在は水戸第三
高校)…土塁の石垣は現代のもの
同じく第三高校の横の道で土塁が見える 第三高校の横を歩いてくるとJR水郡線の陸橋へ(本丸と二の丸の境)
     
先ほどの陸橋の上から撮影
奥に見えるのがこれから行く本城橋
本城橋 この先に旧本丸の水戸第一高校
があり、史跡訪問者と学校関係者のみ立ち入り可
本城橋詰め。本丸跡だが現在は水戸第一高校、手前には薬医門が見える
     
薬医門 本丸から二の丸に通じる橋詰め御門と推定。茨城県指定有形文化財 再び本城橋、古い橋の一部が残っている 本城橋の上から、さっきとは逆方向で水郡線の線路を見下す。この空堀の高さはすごい! 
     
線路の本丸とは反対側が旧二の丸(現在は水戸第三高等学校) 御三階櫓…案内板の写真 復元なった水戸彰晃孝館(大日本史編集局)の門
     
大手門に行く途中の土塁の一部  同左(土塁)  大手橋 この写真の奥が二の丸側、手前が弘道館側往時の様子は次の写真参照 
     
 大手橋の写真、手前の写真と同じ場所  大手橋から下を見る…二の丸と三の丸の間の空堀跡  
      
弘道館入口 
 
 東日本大震災による損傷は大きく
今なお修理中。従い、外回りのみの見学が可能 
本来、中に入りこの建物も見れた 
     
三の丸小学校の正面 弘道館の庭の梅たち 
     
同じく庭の梅   
 
アクセス:JR常磐線水戸駅から徒歩約8分
 
※ 「水戸城〜茨城県水戸市〜日本100名城」をYou Tube に投稿しました 。こちらをクリックして、You Tubeのページにジャンプしてご覧ください! 

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