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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 
 壬生城 栃木県下都賀郡壬生町本丸   2016.9.10 訪問
 〜 築城者 壬生綱重(つなしげ) 築城年 文明年間(1469~86) 主な城主 日根野吉明、阿部忠明、三浦正次、松平輝定、加藤明英、鳥居氏 廃城年 明治初め 遺構 堀・土塁、模擬城門 現状 城址公園 〜
 壬生城は室町時代のなかば、文明年間(1469〜86)に壬生綱重によって築かれたといわれています。各地の大名が勢力を競っていた戦国の世にあって、約100年もの間、壬生氏の主要な城となっていました。しかし、壬生氏は小田原城の北条氏に味方していたために、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにより、北条氏とともに亡びました。慶長6年(1601)からの110年間は、日根野氏(1万石)・阿部氏(2・5万石)・三浦氏(2万石)というようにたびたび城主が替わりました。そして、正徳2年(1712)鳥居忠英が近江国水口から移ってからは、明治維新を迎えるまでの約160年間、鳥居氏(3万石)が代々城主となりました。江戸時代の記録によると、壬生城は本丸・二の丸・三の丸・東郭・下台郭・正念寺郭の六つの郭からなり、これらの郭は土塁と堀で囲まれていました。また天守や櫓といった建物は建てられていませんでした。本丸は約140m四方の大きさで、南と北に門があり、土塁の上には塀が巡っていました。また、本丸内部には御殿があり、江戸時代の初めには将軍の日光社参の宿舎として使われました。現在、本丸址もその南側を残すのみとなりましたが平成元年に城址公園として整備され、県内に残る数少ない近世城郭のひとつとなっています。(平成2年3月壬生町教育委員会が本丸跡に設置の案内板「壬生城本丸址」より)
 東武宇都宮線壬生駅…北方へ徒歩約15分  「壬生」駅前にあった案内図…壬生町城址公園(壬生城址・歴史民俗資料館)〜壬生家・鳥居家菩提所の「常楽寺」へ歩いた。
 
壬生駅から少し北方へ歩いたところにあった道標…
 二の丸虎口のところに城門を模して造られた高麗門…  高麗門の右にあった「城址公園」の石碑…
    
 上の2枚の写真を別の角度から撮影…雲がきれいですよね!
 
 本丸への通路に堀を渡る橋と後方に土塁が見える…きれいに整備され過ぎ(一応この堀と土塁が遺構とは言える)
     
 橋の上から西側方向を見る…
橋を渡り、本丸域内に入る。…橋方向を振り返り見る。  本丸に入りすぐのところにあった案内板…公園としてはきれいに整備されているが城址の面影は乏しい
  
 左の写真の右側の土塁…
 いわゆる本丸広場の周囲には、噴水、中央公民館、図書館、歴史民俗資料館が配置されている。大変きれいに整備されていますね…
     
 歴史民俗資料館…
 
 土塁の上に上がり、最初に入った本丸への橋・通路を見る…  土塁へ上がる階段…この右側が通路
     
土塁上から東方向を見る…
 
 橋及びその後方の駐車場を見る… 土塁上から東南角方向を見下ろす…
     
 土塁上を北側に歩く…
 
 本丸東南角を堀越しに見る…石垣も土塁もきれい(すぎる)。池には多くの鯉がいた  改めて東方向の堀・土塁を見る…
     
 城域の北方にある常楽寺(壬生家・鳥居家墓所)入口…
 
 室町中期壬生初代城主壬生筑後守胤業公が創建した曹洞宗の寺。現在の本堂は1820年に火災に見舞われて後、1850年に再建されたもので、内部に欅材の多く使われた荘厳な伽藍…左下の案内板より 左の写真の、山門の白象についての説明板…
 鳥居家累代の墓…壬生町指定史跡  
     
 
 壬生家歴代の墓…
     
アクセス:東武鉄道宇都宮線 壬生駅から徒歩約15分
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