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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  増田館 埼玉県熊谷市野原 2015.2.27訪問
 ~ 築城者 増田四郎富重? 築城年 室町時代  遺構 空堀、土塁 現状 文珠寺 ~
増田館跡は現在の文殊寺であり、文珠寺の由緒は境内の案内板によると、「文殊寺は五台山文殊寺と称し、曹洞宗の寺で文殊菩薩を本尊としている。開山は、崇芝性岱大和尚である。『三人寄れば文殊の知恵』という言葉があるが、文殊菩薩は知恵をつかさどる仏様として尊ばれ、信仰されている。丹後の切戸・米沢の亀岡・武州野原の文殊寺は、日本三体文殊として有名である。この文殊寺は、古くは関東地方の平和を願って建立したもので、その後、鎌倉時代に再興された五台山能満寺、更には、大愚山文殊寺ともいわれ大きな美しい寺であったという。不幸にも文明十三年(1481年)火災に遭い大部分が焼失し、現在は能満寺谷といい地名にその名をとどめている(現在地より300mほど西方立正大学運動場付近)。同十五年、現在地に比企郡高見の四つ山城主増田四郎重富公が再建し、これを中興開基とし、徳川時代には寺領二十石の御朱印地であった。その後、たびたび火災に遭い、残っているのは、建物では仁王門と、館跡を物語るかまえ堀だけである。」…ここに、わずかに増田四郎重富が再建したこと、そして館跡を物語る堀として言及されている。本堂の裏側と北側には空堀と土塁が結構長く続いている。現在の土塁の高さは約2mで、堀の深さは1mもないぐらいだった。しかし、西側の堀の長さは約200m、北側は約300m位はあるようだ。館跡にしては随分広大な敷地である。
 JR高崎線 熊谷駅から国際十王バス「森林公園駅」行で、「文殊様」下車すぐ。…森林公園駅行きは便数も少ないので、立正大学駅行きにて、立正大学まで行き、そこから、次のバス停の「文殊様」まで歩いても大したことはない。下の写真右の2枚は」立正大学熊谷キャンパス
     
 曹洞宗 文珠寺入口…  江戸時代中期の建立と言われている仁王門…熊谷市指定有形文化財  鐘楼…門の2階部分に鐘が
       
文珠寺説明板…  西側の空堀・土塁方向へ歩く…通路から林には入れない(立ち入り禁止の標示が) 
     
 西側の端、墓地との間の通路沿いに、空堀と土塁が…この辺は、堀も浅く、土塁も低い
  
 堀底から北がを見る… 土塁を道路より撮影…高さは2m弱か 
        
 左に文珠寺の墓地…右に西側の空堀・土塁、北側へ進む
 
 西端の土塁上から、道路越しに墓地方向を見る 
    
      北側の土塁と空堀…
        
 北側の土塁と空堀…左前方に立正大学の校舎が見える
 
 立正大学近くの北側空堀だが、ここで、文珠寺本堂方向への堀跡らしき場所発見…原則として林内には立ち入り禁止で探索できず 左の堀の、少し手前の部分…この辺はあまり整備されていない
          
来た方を振り返る…左が寺域で駐車場が見える
 ここにも、内部への堀跡らしきところが…  立正大学との間の道路から、文珠寺本堂側の林を望遠で撮影…
   
 この辺にも堀跡らしき場所が見える…
 
アクセス:JR高崎線熊谷駅から国際十王バス「森林公園駅」行きで、「文殊様」下車、すぐ。
 

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