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丸岡城 福井県坂井市
2022.11.19 訪問
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築城者
柴田勝豊
築城年
天正4年(1576年)
主な城主
柴田氏、本多氏、有馬氏、青山氏
廃城年
明治4年(1871年)
遺構
現存天守、移築門、石垣
その他
国の重要文化財(天守)
日本100名城
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今から430余年前の天正3(1575)年、織田信長は越前の一向一揆を平定するするため大軍を派遣し、当時丸岡の東北4qの山中にあった豊原字を攻略し寺坊を悉く焼き払った。信長はこの恩賞として柴田勝家に越前之国を与え、北ノ庄(今の福井市)に築城を命じた。勝家は甥の勝豊を豊原に派遣し豊原城を構えたが、翌天正4(1576)年豊原から丸岡に移り城を築いた。これが現在の丸岡城である。勝豊以後安井家清、青山修理亮、同忠元、今村盛次、本多成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新となった。大正中期より昭和の初期にわたり濠は埋められ、現在は本丸と天守閣と僅かに石垣を残し城域は五角形の広い濠を有し外郭に侍屋敷を配置し、さらに河川を利用し外濠を設け寺院民家を包容し城下町を形成していた。丸岡城は現存する天守閣の中で最も古い建築で、外観は上層望楼を形成して通し柱がなく一層は二階三階を支える支台をなし、屋根は屋根は二重で内部は三階となっている。又、。屋根が石瓦で葺かれてのが全国にも稀な特徴である。このような古調に富んだ望楼式天守閣は後の時代の松本城、彦根城、姫路城など層塔式天守閣と比較すると、いかに城郭建築の初期のものであるかがうかがえる。昭和49年国宝に指定されたが、昭和23年福井大地震により倒壊した。昭和25年重要文化財の指定を受け、昭和30年に修復再建された。
入城時入手のパンフレット「越前丸岡城」より引用