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国府台城 千葉県市川市国府台3-9 2013.5.22 訪問 |
- 1479年7月、太田道灌は千葉自胤(よりたね)を援け、臼井に籠る千葉孝胤(たかたね)討伐の為、この地に城を築いたのが国府台城の起こりと伝えられている。その後、1538年10月、足利義明は里見義堯(よしたか)を始め、房総勢1万余騎を率い、北条氏綱の従える2万余騎とこの地で対陣した。このとき江戸川を渡って進出した北条軍を迎え、義明は激闘の末戦死し、房総勢は敗退した。この合戦から26年後、里見義堯の子義弘は、兵8千をもってふたたび国府台に出陣し、北条氏康・氏政父子の2万余騎を迎え撃った。結局、北条軍が勝利をおさめ、義弘は安房に敗走した。以降、この地域は、北条氏の支配となった。1590年徳川家康が関東を治めるや、国府台城は廃城となった。(資料 現地案内板より抜粋・編集)
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国府台城址を含む里見公園全体の地図 |
土塁の跡?園内のあちこちに見られる |
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城址より江戸川越しに東京方面を臨む |
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矢切の渡しが右のほうに… |
この辺も土塁跡だろう |
この種石垣はあちこちに見られるが
いつの時代のものか… |
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公園内に前方後円墳の跡があり明戸古墳と呼称されている。。里見家ゆかりの武将の墓との説があるが定かではない。 |
郭跡と思われる |
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土塁が残る |
こちらも土塁 |
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これは公園整備の過程でできた橋で鉄製だが、堀切のような地形である。陸軍の高射砲陣地としても利用されていたので、遺構もかなり破壊された。 |
こちらも土塁の上に上がる階段で、階段と手前の
橋は公園の整備で造られたお思われる。 |
公園内には二重土塁が残るが、これもその一つ
か?後世の改変で、全体像が分かりにくい。 |
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土塁と郭跡? |
土塁、空堀? |
この石垣は、後で作られたものか?石自体は
古そうではあるが、城跡としての資料が乏しくて… |
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江戸川沿いの道路に通じる急な階段 |
「羅漢の井」1834年(天保5年)に完成した
江戸名所図会に記載されている。江戸期の
名水にも選ばれたとか 。 |
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京成国府台駅まで約1.2km |
遠くに東京スカイツリー |
右側奥が国府台城 |
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アクセス:京成線 「国府台」駅、北総・公団線「矢切」駅下車、徒歩15分位。
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