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小金城 千葉県松戸市大谷口 2013.6.22 訪問お知らせ


 小金城は、1537年9月に高城胤吉によって築かれ、胤吉、胤辰、胤則と3代53年の居城となった。自然地形を巧みに利用した、千葉県でも有数の規模を持つ城郭です。高城氏は、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原攻めの際、北条方に加わったため小金城も秀吉方の武将浅野長政の軍に攻められ落城しました。現在は城のある台地も宅地化が進み、往時の姿を思い浮かべることが困難になったが、大勝因の西院の西側にある大谷口歴史公園内に土塁、空堀(畝掘、障子掘)などの意向を一部復元し公開している。(松戸市教育委員会が現地に設置の案内板より抜粋・編集)
JR常磐線新松戸で乗換えて流山電鉄「小金城趾駅」へ マンションの1Fにある小金城趾駅 駅から小金城趾までは標示・案内版なく徒歩10分ぐらいなのに分かりにくかった。前方の山が城址のある山(標高20m位) 金杉口入り口そばにある「大谷口歴史公園の碑。小金城趾については触れられていなかった。
       
 金杉口より入城。ここに「金杉口跡」の説明板があり、小金城の、四つの虎口のひとつとある。  最初の階段を上がった所の土塁  更に進むと、畝掘、障子掘の案内表示  更に進み、広場・畝掘へ
最後の階段の前で、左上「畝掘・広場」階段を昇らず左に行くと、「障子掘・出口」との標識 階段を上がった所の広場。郭ではなく公園整備の一環で広場を作ったのか? これが「畝掘」この堀は幅7m、深さ3mと規模としてはさほど大きくない。 畝掘りを反対側からみる。発掘時は鷹さ90cmの蒲鉾型の畝が見られた(説明板の写真では畝がはっきり見える)
同じく畝掘りを反対側から見る。この右が堀が終割ってるが宅地化の影響でか不明 畝掘りを別の角度から 障子掘。この空堀は虎口から約20mほどの地点から掘られていて、途中1か所に高さ2mの間仕切り(障子)が造られている。 金杉口から畝掘り・障子掘りの概略図
大谷口達磨口跡の標識 右に説明板 説明版の地図を拡大 これをさらに拡大して当日の歩行ルートを最下部に置いた。 達磨口から上るとちょっとした広場 その広場に顕彰碑が。この歴史公園となっている場所が所有者により寄贈された由でその顕彰碑
広場の周りに残る土塁… 先ほどの顕彰碑の後ろから見る また、達磨口から道路に出て歩く… ひたすら歩いていると大勝院が…
結構大きなお寺だ。高城氏の小金城築城の際に城北の鬼門の場所に移され、高城氏の護持祈祷所として発展をした 歴史公園(達磨口)からかなり歩いて探して見つけた「小金大谷口城址」の碑。周囲は、当時、本城(いわゆる本丸) 「小金大谷口城址」の碑の拡大  公務員住宅がこの周囲に…
       
アクセス:流山電鉄「小金城趾」駅から、あるいはJR常磐線「北小金」駅より徒歩10分。
流鉄「小金城趾」駅(左上)から歩いて、JR常磐線の「北小金」駅へ
(この地図もクリックすると拡大します)

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