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北新波砦(きたあらなみとりで) 群馬県高崎市北新波字古城 2017.2.16 訪問
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〜 築城者 新波氏? 築城年 不明(室町時代?) 主な城主 不明 廃城年 不明 遺構 郭、土塁、空堀 現況 北新波砦史跡公園 群馬県指定史跡 〜 |
早瀬川とその支流関端川に挟まれたこの地は北新波町字古城である。15・16世紀にこのあたりに勢力を持っていた長野氏は、多数の城郭郡を形成したが、古城の地にある北新波砦と隣接する満勝寺郭は早瀬川や関端川を外郭とする大きな防御線の中心部であったと考えられる。本史跡は南北約75m、東西約75mのほぼ正方形をなす小郭で、南辺中央部に出枡状の突出部を付属させ、周囲には幅4〜5mの堀と土塁をめぐらし、突出部東側の土橋から郭外に通じる構造である。昭和59・60年度に高崎市教育委員会が史跡整備を目的とした発掘調査を実施している。調査個所は堀部と郭内の一部のみであったため全容は明らかでないが、建物跡や井戸跡と考えられる遺構とともに当時の生活用具類や古銭、墓石等が出土している。(群馬県教育委員会。高崎市教育委員会が現地に設置の案内板「北新波史跡公園」より) |
北新波砦史跡公園の隣にあった長屋門風の建物…公衆トイレになっており特段由緒があるわけでもなさそう |
左の門の奥の休憩所の壁に設置の案内板より、付近野地図を拡大表示した…史跡公園と万勝寺、そして長野小学校の位置関係が分かる? |
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下の写真の案内図の車止めから入って階段の手前の右の外側の堀(砂利敷)部分… |
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駐車場と標示のところにあった案内板より…75m四方の方形の郭。周囲には幅4〜5mの堀と土塁が。右側の突出部は防御施設だろう。 |
左の図の「階段」手前の外堀の左側… |
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前方に主郭部分(75mx75m)、そして土塁上へ上がる階段が見える… |
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入り口部分を入って振り返って、入ってきた方向を見る…見えている建物は幼稚園 |
上の地図の「土塁復原」と標記の部分を見る…その手前の突出部(出丸?)の位置も確認できる |
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北方向へ外堀の底の道を歩く… |
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主郭部分全体…奥の建物は万勝寺 |
郭と外堀の間の植栽… |
万勝寺境内…万勝寺郭として防衛線の一部と思われる。なお、長野氏の累代の墓がここにあるそうだが確認できず |
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主郭の北側部分の空堀の底…右に詳細の切れ目が見えるが虎口のようだ |
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「万勝寺の石幢」についての説明板… |
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北新波砦史跡公園の説明板…郭の航空写真が参考になる |
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これが上の写真の悦明にある「石幢」(せきどう)…高崎市指定史跡 |
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アクセス:JR信越本線「北高崎」駅より市内循環バスで「長野小学校前」下車徒歩5分
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