衣笠城 神奈川県横須賀市衣笠町 2016.5.28 訪問 | ||
〜 築城者 三浦為道 築城年 康平年間(1058〜1064) 主な城主 三浦氏 廃城年 宝治元年(1247) 遺構 空堀・土塁 現状 山林 〜 | ||
山麓の右を流れる大谷戸川と左手の深山川に挟まれ東に突き出た半島状の丘陵一帯が衣笠城跡である。源頼義に従って前9年の役に出陣した村岡平太夫為道が戦功によって三浦の地を与えられ、所領となった三浦の中心地である要害堅固のこの地に、両川を自然の堀として、康平年間(1058〜1064)に築城されたといわれ、以後為継・義継・義明の4代にわたり三浦半島経営の中心地であった。 治承4年(1180)8月源頼朝の旗揚げに呼応して、この城に平家側の大軍を迎えて野攻防戦は、いわゆる衣笠合戦として名高い。丘陵状の一番裾が衣笠城の大手口で、ゆるやかな坂を登って滝不動に達する。居館は水の便の良いこの付近の平場にあったかと推定され、一段上に不動堂と別当大善寺がある。さらに、その裏山がこの城の最後の拠点となる詰の城であったと伝えられる平場で、金峯山蔵王権現を祀った社が存在した。また、その西方の最も高い場所が、一般に物見岩と呼ばれる大岩があり、その西が急峻な谷になっている。要害の地形を利用して一部に土塁や空堀の跡が残っている。このように、この地一帯は平安後期から鎌倉前期の山城で、鎌倉時代の幕開けを物語る貴重な史跡である。(衣笠城から大善寺に降りたところにあった、横須賀市教育委員会が設置の説明板「横須賀市指定史跡 衣笠城跡」より) |
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JR横須賀線 「衣笠」駅から、徒歩約20分で「衣笠山公園」へ…衣笠城址はこの公園ではなく、下の地図にあるように少し離れた山の上にあった。 | 衣笠山公園の展望台から衣笠城址・大楠山方向へ行く… | |
衣笠山公園から降りたところは工事中であったが、そこから衣笠城址への迂回路(ハイキングコース)の、階段を上がる(右下の写真)… | 衣笠城址への道標… | |
迂回路…ここから暫く登りの階段・通路が続く | ||
階段を上がりしばらく歩いて… | 主郭の手前に当たる小高い場所(物見台とか櫓台とかあったのか?)…奥に石の社が見える、お稲荷さんのようだ。 | |
衣笠城への道標が見えて来た… | ||
右上の写真のところにあった石の祠…稲荷社のようだ | 主郭の方に続く通路… | 稲荷社のところから下を見下ろす…郭の下の部分だが空堀跡? |
郭に上がり「衣笠城址碑」を見る…ここは城内最高地点で「物見岩」の近く | 左の城址碑の右側の郭… | |
上の写真の端の部分を撮る… | ||
三浦義明公八百年記念碑… | 横須賀市教育委員会が設置の「衣笠城跡案内図」…大善寺経由帰途につく | |
横須賀風物百選 衣笠城址の標示柱…この階段を下りれば大善寺 | ||
上の案内図のところから、主郭全体を見る…夏草が生い茂る | 主郭の奥の方へ行く… | |
さらに奥に行く…いくつかの石碑があったが判読できず! | ||
さらに奥に行く…御霊神社のある広場に出る。案内図のあった方向の主郭広場方向を見る | ||
石碑…三浦氏累代碑と読める | ||
隅の少し高くなっている場所に、御霊神社が… | ||
南側の麓にあった「大善寺」…左下の写真は大善寺と不動井戸についての説明板。大善寺の下には行基が杖で地面を叩き湧き出させたという「不動の滝」という水場があり、衣笠城の用水として活用されていたとか。 | ||
大善寺の本堂…阿弥陀如来座像などがあり、横須賀市の重要文化財に指定されている。 | ||
大善寺から麓のバス通りに出て、衣笠城址バス停に向かう…衣笠駅からバスでここへ来る方が衣笠城址に非常に近いことが分かった。バス便数もそこそこある。 | ||
アクセス:JR横須賀線「衣笠」駅、或いは京急横須賀中央駅より京急バスで「衣笠城址」バス停に行くのが最も便利だろう。 | ※ You Tubeに「衣笠城ー神奈川県横須賀市」を投稿しています。You Tubeのページにジャンプしてご覧下さい! |