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雉岡城 埼玉県本庄市児玉町八幡町 2014.4.10 訪問お知らせ


~ 築城主:夏目実基(上杉氏家臣) 築城年:寛正年間(1460~1466) 主な城主:山内上杉氏、横地氏、松平氏 廃城年:1601年 主な遺構:土塁、空堀、水堀 指定文化財:埼玉県指定史跡 ~
 雉岡城跡は、別名八幡山城跡とも呼ばれ、戦国時代に山内上杉氏の居城として築かれたが、地形が狭いので山内上杉氏は上州平井城に移り、当城には家臣の夏目豊後守定基をおいて守備させた。永禄年間には北条氏那によって攻略され鉢形北条の属城となったが、天正18年(1590)に豊臣方小田原城攻めの際、前田利家によって攻囲され落城した。その後天正18年8月徳川氏の関東入国後、松平家清が1万石の格式を受けて領主となり居城としたが、慶長6年(1601)三河国吉田城に転封されるや廃城となった。現在二の郭は児玉中学校、三の郭は県立児玉高等学校の敷地となっており、本郭の一部は公園として残されている。本郭は他の郭より一段と高く、中央に幅10mを超える空堀があり、南側は断崖をなしている。(埼玉県が現地に設置の案内板より)
 JR八高線児玉駅 ここから徒歩10分ぐらい 駅を出て駅前の通りをまっすぐ西に向かう…奥が児玉駅児玉駅 先の信号を過ぎると突当りが雉岡城跡
 
雉岡城跡入り口にあった案内図
    
 城跡入り口のところの案内板  入ってすぐ右に… こちらはすぐ左の石碑
   
 縄張り図と(右に拡大)説明
入ってすぐ左の土塁…
三の郭相当部分  南の郭(三の郭)部分から県立
児玉高校グランド方向を見る
南の郭(三の郭)の土塁(左が水堀)
土塁上から三の郭方向を見る   水堀(現在は水生植物池)の土塁
    
三の郭の広場
  
 三の郭の南の郭と東の郭の間の水堀…
     
 同上…この辺は水堀部分 ここを左に行って金毘羅神社・夜泣き石方向へ行く 少し尾根に上がる状況で金毘羅神社に近付く
  
小高い山に登ろうとしたら通路に細長いヘビが…
 
児玉中学校(旧本丸部分)の隣に位置する金毘羅神社 左が児玉中学校、右の上が金毘羅神社
     
 土橋状のところから、入り込んでいる空堀を見る   先ほどの空堀のかぎ状に曲がった左側
…夜泣き石が小さく見える
     
   夜泣き石写真拡大… 本馬出しから大手方向への土塁(尾根)上から南の郭(三の郭)を見る
 城主の側女お小夜が、城主の奥方の怒りを買い井戸に沈められ殺された。お小夜はそのとき妊娠しており、彼女の死後、井戸や堀の水が乳色に濁り、夜な夜などこからともなく赤子の鳴き声が聞こえてくるようになった。井戸を攫ってみると底から大小二つの石がでてきたので、お小夜とその子が姿を変えたものと思い、奥方はお小夜に対する仕打ちを後悔し、堀端にこの二つの石を祀り、剃髪して喪に服したという。(ウィキペディアより)
交通アクセス:JR八高線「児玉駅」から徒歩10分
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