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河津城 静岡県賀茂郡河津町笹原 2017.3.1 訪問お知らせ
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~ 築城主:蔭山勘解由 築城年:15世紀末? 主な城主:蔭山氏 廃城年:天正18年(1590年) 主な遺構:土塁、郭、堀切 ~ |
- この城山の山頂には、古の城・河津城があったと伝えられています。河津城は戦国時代の初め、足利氏の血を引く蔭山勘解由により築かれた城だと言われています。言い伝えによれば、延徳3年(1491)の戦で、北条早雲の伊豆攻略軍に山のふもとから火攻めを受けたそうです。燃え盛る火の手を防ごうにも山の城では水はなく、思いあぐねて大量の兵糧米を山頂から火の海めがけ流しだし火を消そうとしましたが、山肌をなめるように迫りくる炎をとうとう消し止められず、あえなく落城したそうです。
- この頃は石垣や天守閣などは造られず郭と呼ばれる山の尾根の土を削って平らにした城の形が大半でした。河津城の施設は、本廓と呼ばれる城の中心部がある山頂から尾根にかけて存在しており、実践本位で詰の城を意識した典型的な山城といえます。建物は礎石の上に柱を立てた平屋建ての簡素な小屋程度のものでした。本郭からは、貯蔵庫の跡らしきものが見つかっています。これは地面を掘り下げた形(強風で倒れない工夫と思われます。)で建物を建てています。貯蔵庫からは、米・板材・竹などが発見されています。この地にも木製品では漆を塗った藎や編かごの竹製品、貯蔵庫を使った釘や戸を閉めるときに使った掛金具が見つかっています。又、他の場所からも常滑焼の大がめ・壺・水指など多くの出土品が発見されています。
- (河津町役場が二の郭跡に設置した案内板「河津城跡」より)
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河津駅停車の電車内より撮影…「城山」とか「大日山」と呼ばれる標高180mの円錐形の山頂部に位置する山城。 |
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伊豆急の「黒船号」…窓側に向かい並ぶパノラマシートがある。リゾート21を黒船に見立てて真っ黒に塗装している |
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河津駅前のロータリー…河津桜はピークは過ぎていた。真ん中の写真の案内に従い、ガードを越えて北側へ |
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河津桜の説明… |
ガードを渡ってすぐこの標識…「河津城跡公園920m」 |
暫く舗装された広い道を行く… |
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このような石積が見られる登山道を暫し進む… |
分岐に出た…城山山頂まで350m…河津駅から750m歩いてきたことになる |
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一部階段状にして横木を置いている… |
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河津城跡の説明の石碑… |
再び、登山道をひたすら登る…少し疲れてくるころ |
竹林の中を登る、歩く… |
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山頂手前の休憩所に着いた…山頂まであと80m |
少し眺望が開けてきた… |
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二の曲輪への階段を上がる… |
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二の郭の手前からの眺望… |
この上が二の郭…手前には堀切があったはずだが気がつかなかった?! |
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この階段を上がりきると右の写真の冠木門へ… |
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二の郭にあった案内板より鳥瞰図…当時はこういう状態だったのか?現実とは違うようだ。でもイメージとしてみると位置・構造は分かりやすいかも? |
二の郭からの眺望…当時はここが物見台的な役割を果たしていたか |
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二の郭全景…そこそこ広くて、現状では主郭より広く見える |
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二の郭の南端の展望所的なところ…案内標示の写真部分を右に拡大した。伊豆急河津駅、河津浜海岸などの位置を確認できる |
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二の郭の西端方向を見る… |
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もう一段上の郭、主郭に上がる階段…上がってすぐ左の端には「城山 180.9m」の標示板(右の写真)。 |
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階段からも見えていた小さな小屋…中には焼米か?3個の米俵があった。 |
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縄張図的には、主郭の先(北側)には小郭、2つの堀切がある筈だが、降りられないので、上から見下ろして撮影した… |
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こちらの下にも帯郭的なものが見える… |
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主郭から下の二の郭に降りて、改めて主郭を見上げる… |
再び、河津駅に降りてきた… |
河津駅 北口… |
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リゾート21の内装を伊豆のグルメである「金目鯛」をイメージして「赤」をメインにした列車が「キンメ電車」です… |
こちらは黒船号ですね。英語表記はTHE BLACk SHIP TRAIN となっている…最前方車両では、展望席の配置になっていて運転席からの眺めが楽しめるようになっている |
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アクセス:伊豆急「河津」下車登山口まで徒歩約10分
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