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年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

河村城 神奈川県足柄上郡山北町  2015.11.16 訪問お知らせ

 ~ 築城者 河村秀高 築城年 平安時代末期  主な城主 河村氏、上杉氏、大森氏、北条氏 廃城年 1590年 遺構 郭、堀、畝掘、土塁 ~
 河村城が位置するこの地は、城山と呼ばれ、北を旧皆瀬川、南を酒匂川によって周辺山地と分断された自然の要害とも言うべき地形となっている。城山の標高は約225mで、酒匂川との比高差は約130mを測り、東へ浅間山・丸山と連なる独立丘陵状をなしている。河村城の周辺では、相模・甲斐・駿河三国の境界線が交錯することから、数多くの城砦群が築かれている。甲斐から城ヶ尾峠を超えると湯ノ沢城・中川城・大仏城山・新城・鐘ヶ塚砦が、駿河から箱根山地・足柄峠の尾根筋を下がると足柄城・阿弥陀尾砦・浜居場城があり、さらに足柄平野縁辺部には松田城・沼田城などがあるが、なかでも河村城は甲斐・駿河から足柄平野に至る交通の要衝に位置している。
 河村城の築城は古く、平安時代末期に秀郷流藤原氏の一族波多野遠義の二男河村秀高によって築かれたと伝えられている。秀高の子義秀は、源頼朝の石橋山挙兵の際、平氏方に属したため領地を没収されるが、建久元年(1190)鎌倉での流鏑馬の妙技により、本領河村郷に復帰できたと『吾妻鏡』にある。町指定無形文化財「室生神社流鏑馬」はこれに由来すると言われている。
 建武の中興・南北朝時代と河村氏は松田氏とともに南朝側の新田氏に協力し活躍するが、北朝側の足利尊氏らによって鎌倉が攻められると、鎌倉秀国・秀経らは新田義興・脇屋義治とともに河村城に篭城する。正平7~8年(1352~53)にかけて、畠山国清を主将とする足利尊氏軍と戦火を交えるが、南原の戦いで敗れ、新田・脇屋らは中川城を経て中川に逃れたと『太平記』にある。
 当時の河村城については、『管領記』に「山険にして苔滑らかに人馬に足の立つべき処もなし」とあるように、難攻不落の堅城であったことがうかがえる。また、篭城戦の様子については、河村氏の菩提寺とされている岸の般若院所蔵の『梅風記』(写)に詳しい。南原の戦い後、河村城は畠山国清・関東管領上杉憲実を経て大森氏の持城となったと考えられ、その後相模に進出してきた小田原北条氏に受け継がれていく。
 戦国時代、小田原北条氏は武田氏との攻防から、前記の各城とともに小田原城の支城として河村城を重視し、特に元亀年間には河村城の補強を行ったことが『相州古文書』に見られる。その後、武田氏との間で周辺の諸城とともに争奪戦を繰り返し、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐でで落城、廃城になったと考えられるが、これらを伝える史料は残っていない。~以下略~(山北町が本城郭に設置の案内板「河村城跡」より抜粋)
JR東海 御殿場線「山北」駅…ここから徒歩15~20分   駅前にあった案内図…城山のところに「河村城址公園」の標示
     
山北駅前…手前は市民バスで後ろに観光案内所がある建物
 
観光案内所の前にあった案内道標…   駅の反対側(さくらの湯)側に出て… 道標に従って南方に歩く…
     
 緩やかな坂を上がり…  河村城址へ15分… 河村城址碑…少し手前にあった
     
 森林セラピー「河村城跡コース」になっている…  「河村城址 公衆便所」との標示が…  河村城址歴史公園入口案内板が見える…
     
入り口の案内板より「縄張り図」を抜粋…  同じく案内板にあった古図…
     
 雨上がりの坂道を上がる…濡れ落ち葉もあり歩きにくい(滑りやすい)
 
 よく整備されてはいるが、前日までの雨で路面は濡れている…
  
 茶臼郭方向へ急階段を上がる…
 
 こんな標識初めて見た…
「風 この周辺」とのこと
階段上から下を見下ろす… 直進方向「本城郭・茶臼郭」、階段方向「本城郭(近道)」の標示 
 茶臼郭と本城郭への階段下の間にある、「お姫井戸」が一番下にある畝掘り…  お姫井戸の説明板…「発掘調査では井戸の存在は確認できなかった。一方、河村城落城の際には城主の姫が井戸に身を投げたとの哀話が伝えられている」との説明が
     
 お姫井戸部分…
 
 お姫井戸がある畝掘りを下から見上げる…右上に茶臼郭 茶臼郭へ階段を上がる…茶臼郭の説明は右の写真
茶臼郭に来た…  茶臼郭と小郭の間の堀切の畝掘り…右側の柵の右は西側の樹木
     
茶臼郭の北側部分の樹木郡…
 
畝掘りのある堀切を茶臼郭の西側縁寄りのところから見下ろす… お姫井戸のところに、幼稚園の引率の先生が見える…足元が滑りやすいけど多くの幼稚園児が来ていた
     
下を見下ろすと学習に来たらしい幼稚園児が小さく見る…
 
 畝掘りの解説… 本城郭と小郭の間の堀切・畝掘り… 
     
 本城郭へ緩やかな階段を歩く…
 
本城郭に到着…  本城郭入り口部分…
     
本城郭から南方向を見る…
 
 河村城址碑…  河村城址図…左の上の茶臼郭から本城郭に来た。この後、蔵郭~大庭郭を経て馬度を経由して東山北駅に向かう 
     
本城郭の北端にあった社…
 
本城郭と茶臼郭の中間に位置する小郭…ここへの通路は確認できない  畝掘りの説明板…
     
 本城郭北端から茶臼郭方向を居る…小郭を挟んで2本の堀切を確認
 
 本城郭南端にて、洒水の滝方向への道標…この先には馬出郭がある筈だが藪状態で確認できず  本城郭から木橋を渡り蔵郭方向を見る… 
     
 河村城址との道標は手前(本城郭)に向いている…
 
 本城郭から橋を渡り蔵郭に入ったところにあった案内板… 本城郭と蔵郭の間の堀切について之詳しい説明板…
     
本城郭と蔵郭に直角方向(南側)に馬出郭の道標…
 
 木橋を渡り本城郭を見る… 本城郭と蔵郭の間の堀切… 
     
 木橋上から堀切を見下ろす…
 
 蔵郭の説明板…建物跡も発掘されている 蔵郭から東方向を見る…近藤郭への木橋が見える。ここの堀切も調査で障子掘りを発見している(右の写真参照) 
     
 障子掘り状之堀切を橋上から見下ろす…  大庭郭・多地屋敷方向を見る…
     
近藤郭から大庭郭への木橋… 
 
 大庭郭にあったコンクリート仕切り…郭・屋敷の区画の一とは若干違うようであり、これが何を意味するか不明  多地屋敷の北方で、造成工事中であった部分…帯郭のようでもある。右の写真は造成部分に降りて下を見下ろしたもの
      
 大庭郭張り出し部分?  大庭郭にあった案内標示…  東山北駅方向へ歩く…
     
 大庭郭張出と馬達戸の間の堀切に架かる橋…工事中であった 東山北駅に行く途中山北町住宅地と御殿場線を見下ろす…小田急ロマンスカー「あさぎり号」が見えた。新宿御殿場直通とか。  
付近にはあちこちに蜜柑畑…
 「山北町の市街地に降りてきたとこにあった「河村城跡入口」の標示… 御殿場線東山北駅…本数が少なくSUICA・PASMOも使えない。無人駅。
アクセス:JR東海御殿場線 山北駅降りて徒歩、約15-20分。道標が多くあり分かりやすい。
※「河村城ー神奈川県山北町」ーYouTubeにアップしました。こちらからご覧ください。

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