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葛西城 東京都葛飾区青戸 2014.12.19 訪問 |
〜 築城者 不明 築城年 戦国時代 主な城主 葛西氏、大石氏? 廃城年 後北条氏の滅亡時 ? 東京都指定史跡 遺構 なし 〜 |
- 葛西城は、中川の沖積微高地上に築かれた平城である。沖積地に存在しているため、地表で確認できる遺構は認められない。築造者と築造の年代については不明であるが、天文7年(1538)2月には、北条氏綱によって葛西城が落城されたという記録(『快元僧都記』)があり、この後、葛西城は後北条氏の一支城となり、幾多の争乱の舞台となった。後北条氏の滅亡後、葛西城は徳川氏の支配下に入り、葛西城の跡は、将軍の鷹狩の際の休憩・宿舎(青戸御殿)として利用されていた。この葛西城が再び注目されるようになったのは、昭和40年代後半のことである。昭和47年から発掘調査が行われ、その結果、主郭を区画している大規模な掘、溝、井戸跡等が検出され、陶磁器、木製品等が出土し、中世の城郭の存在が明らかにされた。東京都内には、中世城館跡が多数存在している。沖積地に存在している城館跡は、地表にその痕跡をほとんど残さないことから内容が不明なものが多いが、葛西城の存在は、発掘調査によって明らかにされており、戦国の争乱を語る上で欠かすことのできない城郭である。(東京都教育委員会が、平成11年3月31日に設置の案内板「葛西城跡」より)
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京成青砥駅…ここから環七を北へ、約20分徒歩で城跡へ |
都教育委員会が、御殿山公園に設置の案内板の航空写真を拝借…これでよくわかると思う。この環七工事に伴う発掘調査により多くの出土品があった。 |
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葛西城址公園と御殿山公園の間の、青砥7丁目交差点… |
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葛西城址公園…これだけ!小さな公園で、あとは何もなし。 |
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公園入口の案内図…城跡については何も記載なし。右の写真は公園全景。下の縄張り想定図から見ると旧本丸の一部? |
環七を渡り反対側の「御殿山公園」に… |
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御殿山公園に設置されていた、都教育委員会の案内板の後北条時代の「縄張り想定図」… |
御殿山公園の案内図… |
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「青砥藤綱城跡」の石碑が…御殿山公園を入ったところにあった |
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御殿山公園の北東側部分…児童公園になっている |
御殿山公園の北側部分…右に環七が |
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御殿山公園の北… |
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アクセス:京成電鉄「青砥」駅より徒歩約20分、バス便もある。
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