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神奈川台場(かながわだいば) 神奈川県横浜市神奈川区 2018.7.9 訪問 |
〜 築城者 伊予松山藩 築城年 1860年(万延元年) 遺構 石垣 廃城 1867年1月古河藩が警備を担当。1868.4 明治新政府に引き渡される。1899.2 廃止 |
- 横浜の開港により、開港場の付属施設として神奈川台場が築造されました。安政6年(1859年)5月、幕府が伊予松山藩に砲台の構築をを命じ、勝海舟が設計に当たりました。約7万両の費用と約1年の工事を要し、万延元年(1860年)6月に竣工した当時の台場は、総面積約2万6千u(約8千坪)で、海に突き出た扇形をしていました。明治32年(1899年)2月に廃止されるまで礼砲や祝砲として使われていましたが、大正10年ごろから埋め立てられ、いま地上部には石垣の一部だけが残っています。(現地台場公園に設置の案内板より抜粋。)
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地図は、横浜コットンハーバーの案内板(左下の現在位置と標示の部分)より。JR東神奈川駅より徒歩で北側に進み、首都高速神奈川1号横羽線を超えて、星野橋の手前の道を東側に上がり、台場公園を目指す… |
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「神奈川の台場跡」への道標に従い東方向へ、右の写真のような水路を左に見て台場公園へ… |
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台場公園に到着…平成20年、横浜開港150周年を機に発掘調査が行われ、かつての船溜まりの場所に台場公園が整備された。 |
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大正10年頃から埋め立てられ、現在では、貨物ターミナルの隅に少し石垣が残るのみ。明治32年に廃止されるまで儀礼用祝砲のために利用された。 |
神奈川台場の説明板…台場公園には多くの説明板が設置されている。 |
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明治30年代の神奈川台場(横浜開港資料館蔵)…台場の横の埋め立てが始まっているが、台場そのものの形は残されている?! |
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台場公園の端・住宅街の一隅に「神奈川台場の後」の石柱が…背後には当時の石垣の一部が残る。なかなかしっかりした石垣でした。 |
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上の写真の石柱部分から左側(左の写真)及び右側(右の写真)の石垣を覗き込む… |
台場公園の西側出入口から住宅街を見る… |
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台場公園を後にして、再び水路の横に出る…文化財調査工事中だった。(どこで?) |
星野橋に戻り、日本貨物鉄道(株)の東高島駅の横を通り、横浜コットンハーバーに到着…ここの星野公園に神奈川台場の石垣の一部が残る。 |
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横浜コットンハーバーの案内図… |
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星野公園にあった案内板…背後に残存石垣が。 |
左の写真の案内板の背後の残存石垣… |
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「ヒストリアレジデンス海舟」の横から見た残存石垣の一部… |
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神奈川台場・石垣遺構関連施設があるのか?シャッターが下りていた…
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左下の写真のフェンス内部を撮影…石は当時のものかも知れぬが、このようになっていたのか?展示目的で積みなおしたのか? |
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上の写真のすぐ左に、フェンス越しに石垣が展示(残存?)されている… |
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アクセス:JR東海道本線・横浜線「東神奈川」駅から徒歩約10分で台場公園。
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