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上三川(かみのかわ)城 栃木県下野市上三川町上三川 2016.5.7 訪問 |
〜 築城者 横田越中守頼業 築城年 建長元年(1249) 主な城主 横田氏、今泉氏 廃城年 慶長2年(1597年) 遺構 水堀・土塁 現状 上三川城址公園 〜 |
上三川城は建長元年(1249)、宇都宮氏の一族である横田越中守頼業が築いた城です。以来、慶長2年(1597)に芳賀高武に攻められて落城するまで、348年間続いた城です。現在では本丸を残すのみですが、元は東西400-500m、南北1,000mの範囲に土手を巡らせた場所(郭)がいくつも並んだ、広大で堅固な構えを見せた城でした。本丸のまわりには、城主である横田家の墓(善応寺)や今泉家の墓(長泉寺)などの城に関係のある史跡が残っています。また、本丸の堀には、上三川城落城にまつわる「片目めのドジョウ」の伝説が伝えられています。(上三川町が現地に設置の三内板より) |
東北線「石橋」駅東口にあった案内図…多功城へは駅から南東へ約20分歩く。そこから上三川城址公園まで国道352号をひたすら歩いて、田川を渡って少し行ってから、上三川地区中心部に行く、左に折れる道があり、そこを入り、また、しばらく歩いて「上三川城址公園」に向かった。右の写真は、城址公園の標示のある石碑(草が伸びてよく見えぬ) |
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城址公園への入り口… |
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右の写真の橋上から右(東)側を見る… |
本丸南側虎口のところの石垣…これらは復元・模擬のものだが、一応雰囲気は出されている。上三川町が1996年に城址公園として整備したとのこと。 |
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こんどは、西側の方向を見る… |
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橋を渡って、虎口を通り本丸域に入って、左側を見る(真ん中の写真)。また、右側を見たのは右端の写真… |
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一旦戻って、右回りに水堀に沿って回ってみる。きれいに整備されている…古図とかがあれば納得できるのだが、どこまで往時の状態を復元しているのか不明… |
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東側を歩く…遠くに橋と老人福祉センターの建物が見える |
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東南角にあった「勝姫桜」… |
すぐ上の写真のところから北方向へ進む…こちらは東側の虎口か |
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「勝姫桜」標示板の拡大… |
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北東隅のところ… |
城塁・水堀の折れのある場所… |
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西側の虎口への橋… |
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西側の水堀横を南方へ歩くと、途中でかわいい猫に遭遇した… |
ぐるりと回って最初の南側虎口の橋に来た… |
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再び、南側虎口より本丸に入る。左側を見ると、「上三川 七水 銀名水」との標示が… |
「富士見亭」との標示が…富士山が見えたのか?南西隅の櫓台的な場所 |
富士見亭から土塁上を北方向へ歩く…右が本丸広場 |
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本丸広場に降りてきた方向へ… |
この土塁上の通路を北側に歩いて、北西隅の櫓台的なところへ向かう… |
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上の写真の突き当り(北西隅)にあった「勝姫稲荷神社」… |
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北側に回って、本丸広場を見下ろす… |
北東隅の方へ来た…左の建物は老人福祉センター |
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上の写真の先で、水堀を見下ろす… |
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本丸広場に降りて北西方向を見る… |
再び、土塁上に上がるが、東側虎口の階段のところにも猫がいました… |
ぐるりと一周して、最初の南虎口のところに出た… |
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アクセス:JR東北本線「石橋」駅からバスで上三川地区へ行けるが、バスの便数は少ないようだ…筆者は多功城まで歩いた勢いで、多功から上三川まで歩いた。約30-40分掛かった。
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