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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 

岩村城 岐阜県恵那市岩村町 1st 2013.3.11 2nd 2015.6.23 訪問お知らせ

 ~ 築城者 東山景朝 築城年 承久3年(1221年) 主な城主 遠山氏、森氏、大給松平氏 廃城年 明治4年(1871年) 遺構 石垣、郭、移築門 指定文化財 県指定史跡 日本100名城(38番) ~
岩村城は別名を霧ヶ城といい、天然の峻嶮な地形を活用した要害堅固な山城で、海抜717mに位置し、全国の山城の中で最も高地にあり、日本三大山城の一つである。岩村城の創築は鎌倉幕府初代将軍、源頼朝の重臣加藤景廉が、文治元年(1185年)に遠山荘地頭に捕せられたのに始まる。景廉の長男景朝が岩村に移り、加藤の姓を地名の遠山に改め、以後遠山氏が代々居城した。戦国動乱の時代に入り、武田信玄の臣秋山信友が天正元年(1573年)に岩村城を奪取して入城したが、同3年に織田軍に敗れ、以後城主は川尻鎮吉と森蘭丸、森長一、森忠政の森三代、田丸具忠と28年間に目まぐるしく交替した。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後、西軍に属した田丸氏に代わって松平家乗(大給松平家)が城主となった。江戸時代の城主は松平氏二代、丹羽氏五代のあと大給松平分家の松平氏七代をを経て明治維新を迎えた。城郭は中世城郭を近世城郭へと修築し、本丸、二の丸、出丸、帯曲輪、東曲輪、八幡曲輪等々が設けられ、丸と曲輪は石塁や自然の断崖をもって区画され、要所に櫓、塀、城門が構えられた。建物は、明治維新により廃城とされ、のち明治6年(1873年)に取り壊された。(岩村町教育委員会が現地に設置の案内板より)
登城口のそばの岩村歴史資料館の駐車場のところにあった「案内図」。この地図の、各ポイントに沿って歩いた。 復元された太鼓櫓… 
         
太鼓櫓のいわれ… 
 
 藩主邸の表御門を入り内側から…  藩主邸の表御門…
    
岩村藩主邸跡の説明板…
 
 岩村方鉄砲停(いわむらかたてっぽうどめ)の標柱。…これにより、一部の地域では、鉄砲の使用が停められていたことがわかる。 犬山城の城郭と
     
この建物は、右端の写真の正門の左に位置する釈奠(せきてん)の間。正門と並び岐阜県指定文化財で現存している。  知新館は元禄15年(1702)藩主松平乗紀(のりただ)によって創立された。右の写真は現存する正門。
           
 登城口のところにあった「郷土の森案内図」…ここにも岩村城跡への案内図にもなっている 岩村城跡登城口の」石碑…
 
ここから800m…
700Mの標示柱が…左の石垣の上には下田歌子誕生の地の碑。下田歌子は、岩村が生んだ歌人で、実践女子学園の創設者  600mの標示柱が見える… 地図上の④の部分…藩主邸から一の門に続く急な坂道で「藤坂」と呼ばれていた
 本丸まで600m …このような石畳道がしばらく続いた  ⑤初門…岩村城の最初の関門。この図のように大きく曲げられている  本丸まで500m…
 登城坂の巨木群伐採址の標示…  本丸まで400m …
    
ここで左に曲げてある…
 
 苔むした石垣が見えてきた…一之門…多聞櫓・土塀で固められていた この階段を登りきると左へ曲がる…
       
 左折のところで、下を振り返り見る…左に休憩所が見える 左折してまっすぐ上がると、土岐門…内側は馬出状の郭に
     
 このような山道を登る… 畳橋…大手の入り口は高石垣と枡形門、三重櫓で固められていたとか  ここが枡形状ですか…若干判別し難いが、趣のある石垣ですね!
 このような石段上の道を進む… 苔むした、すごい石垣が眼前に…  追手門・三重櫓…枡形門で、脇には畳橋を見下ろすような三重櫓が構えられていた。岩村城唯一の三層の櫓
 大手櫓門跡…岩村城の正門で城中最大の門。本丸まで200mの標示。 門を入って石垣の間の道を進む…
     
 
竜神の井…岩村城のうち最大規模の井戸で、昭和60年に復元された 五郎作屋敷址…
     
 五郎作屋敷址…城内住み込みの侍屋敷の址と説明があった 八幡櫓跡に行く途中の通路…
     
 石垣の上の郭から下の通路を見下ろす…
 
八幡櫓の方へ歩く…三間と四間の二階建ての建物があった。
       
 八幡神社…遠山氏の氏神で始祖加藤景廉を祀る。 
     
霧ヶ城竜神社址の碑…
 
 霧ヶ井…この井戸へ城に秘蔵の蛇骨を投げ入れると、忽ち霧が立ち込め、
城を覆い隠したいう伝説がある。(真ん中の説明板より)
 八幡神社・竜神社から、もとの通路へ戻る… 菱櫓と俄(にわか)坂の説明板… 俄坂櫓門址…
     
 菱櫓址…石垣も建物も菱形でその名前がある。菱櫓は全国城郭にもその例は余りなく中世期の山城を近世城郭に改築した貴重な、歴史的遺構)4現地案内板より抜粋) 本丸虎口…六段壁につながる
 六段壁…石垣が六段積になっていることから、六段壁と呼ばれる。急峻な地形に石積みをする為に、工夫された石垣。六段階の石垣の一階づつに犬走を設けた工法で積まれ、修理や墓行が想定されている。知恵の結晶。(岩村町観光ガイドより) 本丸の周りの石垣…南郭方向へ続く
           
東郭…
 
 二重櫓址…水晶山方面巡視のための建物だった  望楼より東側の犬山橋方向を見る…左端の方に御嶽山が見えるはずだが、よく見えず  
     
 二重櫓址の説明…
 
 長局埋門(うずみもん)…石垣の上に多聞櫓を載せ、石垣の間に門を設けた櫓門(詳しい説明は真ん中の写真)
     
 長局埋門址の説明… 織田信長宿泊地…本能寺の変80日前に宿泊したとか  岩村城址の説明…教育委員会が設置
     
 岩村城歴代藩士慰霊碑…  昇龍の井戸…山頂にあるも決して水が涸れなかったとか  岩村城跡の標示柱…
     
 本丸から北の方向を見る…これは2013.3 時点の撮影分だが、遠くの山脈には木曽御嶽山が見える
     
 本丸…ここには納戸櫓二重櫓2棟、多聞櫓2棟が石垣上に構えられていた、などの説明(左の写真)が 
     
 眺望がすばらしい…旧城下町眺望。遠山家菩提寺大円寺と旧城下町、と説明がある 
 
 出丸(埋門・二重櫓・多聞櫓)…本丸の南西部に突出して構えられた  本丸埋門…
     
長局埋門より城下を臨む…
 
 本丸から、二之丸・出丸方向への通路・門跡が…
     
 埋門(うずみもん)…説明および絵図面は一番右の写真参照
     
 二之丸址…米蔵、武器蔵、番所建物が多い。また、弁財天社地への案内板(水をたたえた堀の中央に社があった)との説明  埋門の全景…右に行き出丸に向かう 番所址の標示…
     
 赤時門跡…不開門(あかずの門)ともいい常は殆ど開けない…  出丸方向へ降りていく… 
     
出丸へ降りていく道のところの石垣… 出丸のところの駐車場にあった縄張図… 
 
 
出丸の説明板… 出丸太鼓櫓址…城下町と巨大な樅の群生  出丸からの城下町眺望…
     
 出丸から本丸を見上げる…帯郭が見える  氷餅蔵…籠城に備えて氷餅を貯蔵
     
 南郭…出丸から車が通る道を少し降りると南郭に出た   氷餅蔵内部…休憩所になっている
     
南郭を右に見て、帰途に付く…
 
 岩村城下町…岩村駅から登城口までなだらかな登り坂が続く。そこには、重要伝統的建造物群保存地区に指定(文化庁)された、古い商家の街並みが続く。電線類が地中化されていてしっとりと落ち着いた街並みとなっています。そこには、桝形の遺構が残っていたり、高札場、岩村城の不明門が移築された妙法寺、鉄砲鍛冶・加納家などの岩村城にゆかりの場所があちこちにあります。また、乗政寺城主墓地も城下にあります。当ホームページの岩村城下町のページを参照ください。また、ユーチューブにも投稿しています(こちらからジャンプ)。
アクセス:明知鉄道「岩村駅」下車、登城口の岩村歴史資料館まで徒歩約20分。本丸までは更に約20分
※「岩村城 日本三大山城・日本100名城 ~2015.6再訪版」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tubeのページへジャンプしてください!

※「岩村城 日本三大山城・日本100名城 ~2013.3 撮影~」は
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