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  一乗谷朝倉氏遺跡 福井県坂井市 2022.11.19 訪問
 〜 築城者 朝倉氏 築城年 南北朝時代 主な城主 朝倉氏、桂田長俊 廃城年 天正3年(1575年) 遺構 土塁、堀、虎口、石垣、礎石 その他 特別史跡、国の重要文化財(遺跡出土品)日本100名城 〜
朝倉氏の歴史:朝倉氏はもと兵庫県養父郡の武士でした。一乗谷初代隆景は、応仁の乱(1467〜77年)で西軍に参加していましたが、文明3年(1471)東軍に寝返り、ここ一乗谷に居城を移したと言われています。主家であった越前守護斯波氏や守護代の家柄の甲斐氏との戦いは2代氏景まで繰り返され、3代貞景が永正3年(1506)の加賀一向一揆を撃退したことにより、4代孝景は、近江、美濃などの諸国にたびたび出兵し、また京や奈良の公家、僧侶などの文化人が下向してくる庇護しました。5代義景は、後の1代将軍足利義昭を一乗谷の安養寺の御所に迎え、また南陽寺の観桜宴等で歓待しますが、義昭を奉じて上洛することはしませんでした。天正元年(1573)織田信長との刀根坂の戦いで敗北し、戦国大名朝倉氏はついに滅亡、一乗谷の町は戦火によって焦土と化したのです。
朝倉氏遺跡:朝倉氏遺跡は、福井市街の東南約10qに位置する戦国時代の城下町の跡で、400年以上もそっくり埋もれて残されてきたことで有名です。昭和46年に278ha が国の特別史跡に指定され、史跡公園として発掘・整備が進められています。また、平成3年には遺跡内の4庭園が国の特別名勝に指定されました。城下町は、東の一乗谷城(詰城)、西の東郷槙山城、北の成願寺城、南の三峰城で厳重に守られています。一乗谷川に沿った狭い平地部では、朝倉氏の館をはじめ、武家屋敷、寺院、職人達の町屋が道の両側に所狭しと建てられていたことが発掘で明らかとなっています。復元武家屋敷を見学し、朝倉館、湯殿跡庭園、中ノ御殿、諏訪館跡庭園に至る約1時間コースが一般的でしょう。時間に余裕があれば寺院と町屋群、上城戸、下城戸、西山光照寺の石仏群、標高473mを測る一乗谷城などの見学もおすすめします。
余年前の天正3(1575)年、織田信長は越前の一向一揆を平定するするため大軍を派遣し、当時丸岡の東北4qの山中にあった豊原字を攻略し寺坊を悉く焼き払った。信長はこの恩賞として柴田勝家に越前之国を与え、北ノ庄(今の福井市)に築城を命じた。勝家は甥の勝豊を豊原に派遣し豊原城を構えたが、翌天正4(1576)年豊原から丸岡に移り城を築いた。これが現在の。
入城時入手の福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館が作成のパンフレット「特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡」、「特別名勝 一乗谷朝倉氏庭園」より抜粋・引用