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平井城 群馬県藤岡市西平井 2019.3.1 訪問 |
~ 築城者・築城年 山内上杉憲実が永享10年・1438年に築城(別の説では上杉顕定が応仁元年・1467年に築城) 主な城主 山内上杉氏 廃城年 天文21年(1552年)北条氏が滅ぼした 遺構 復原土塁、復原空堀 |
- 平井城は、永享10年(1438)に勃発した永享の乱に際し、時の関東管領山内憲実が、惣社(蒼海)の長野忠房に命じて築城したとされる説と、応仁元年(1467)に上杉顕定が築城したとされる説がある。いずれにしても、天文21年(1552)の後北条氏の平井城攻めで落城するまで、関東管領山内上杉氏の居城としての役割を果たしていた。
- 城の構造は、「庚申」と称される堀をめぐらし、西平井の村落を取り込んだ「総構」と呼ばれる構造で、城域の南端部の鮎川左岸の切り立った崖の上に、土塁及び堀により区画された通称本丸(主郭)があり、その西側に通称二の丸・笹曲輪(副ℬ郭)などが配されている。
- なお平井城の背後には有事の際の要害城である金山城を「詰の城」として配置し、周辺は帰属する国人や配下の武将が築いた、御岳城(金讃神社近く)・東日野課内城・一郷山城・東平井の砦・飛石の砦など多くの城や砦に守られていた。(現地、城址公園にあった説明版「平井城築城」より)
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JR八高線「群馬藤岡」駅…ここから藤岡市のコミュニティーバスで、「矢島商店前」下車すぐ。 |
平井城址公園の復元土塁の位置と反対側の場所にあった案内板より…群馬藤岡駅と平井城・平井金山城の位置を赤枠で記した。 |
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「平井城址」の標示石柱… |
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城址公園内に入り復原土塁を見る… |
上野国西平井旧城絵図…文化13年(1816)作図と記されている。 |
城址公園にあった案内板「城跡を探る」より…縄張図部分は抜粋・拡大して下に。 |
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縄張り図を拝借…平井金山城へ急いだため、二の丸、三の丸などの他の郭には行かず。 |
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案内板より「関東管領と上杉氏」の説明… |
城址公園内部に入り復原土塁を見る… |
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右の写真の、土塁に階段を使い上がった… |
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アクセス:JR八高線群馬藤岡駅から路線バス、「藤岡~上平線」にて上平行きにて「矢島商店前」下車。
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