よしおば30

Welcome to New Yoshioba30's Homepage

全国城めぐりネット

 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

檜原(ひのはら)城  東京都西多摩郡檜原村本宿 2015.5.26 訪問お知らせ


~ 築城主:不明(平山氏?) 築城年:不明(15世紀初め?) 主な城主:平山氏 廃城年:天正18年(1590) 主な遺構:郭、土塁、堀切、竪堀 ~
 檜原城の築城・城主などについては不明な所が多いが、少なくとも戦国期の後北条時代後半に戦略上の理由からこの地に築かれ利用されてきたものと考えられる。天正18年(1590)豊臣・徳川両軍の関東侵攻の折には、後北条氏の支城として機能していたが、同年7月12日両軍に攻められ落城。以後、廃城となる。城跡は主郭を中心に南と北に伸びる尾根を階段状に削平した小規模な郭からなり、郭は細い土橋で接続され、南に延びる尾根には数本の竪堀が設けられ、敵からの攻撃を受けにくくするような工夫が施されている。都内に現存する中世城郭のうち、戦国初期の構造をよく残しており、歴史的・学術的にみて価値は高い。(東京都教育委員会が山頂部に設置の案内板「東京都指定史跡檜原城跡」より)
駅前にあった観光案内図より…本宿役場前のバス停で降りて吉祥寺へ、歩いてすぐ JR五日市線の終点の武蔵五日市駅…観光案内所もある
 
左手に駅ビル…この右端の方に観光案内所
 本宿役場前のバス停を降りて進行方向へ歩くとすぐこのT字路交差点に… 交差点斜め向かいにこの看板が…吉祥寺は居館跡との説もあり、しっかりした石垣がそれを示唆する?
 応安6年(1373)の創建と言われるが不明。現地に置いてあったパンフによれば、旧建物は永正年間に焼失し、その後、吉野一族が再建、300年を経て大破し、文政8年(1825)再々建し現在に至るとのこと。この寺の裏山が檜原城跡、ここに平山氏重の墓があるとのこと(特定できなかった…)また、裏山は13仏めぐりができるところとして有名。
裏山の墓地の入り口から檜原村役場方向を見る…  登山(登城)開始…「1番不動」との道標が見える 入り口にあった檜原城跡の説明図…
 
つづら折れの道を上がってゆく…13仏めぐりの案内標示に沿って進めばほぼOK
     
高い杉の林の中を登っていく…狭い通路だが歩きやすい!
    
 
 竪堀…山頂から山麓まで続いていた。いつごろのものか不明! 鉄パイプの手すりのある通路…竪堀をまたいで何番目かの仏像(下の写真)の方向へ…
 12番目の大日様のようだ…
 石積みがあった… さっきの竪堀の上部…
 もう少しで頂上に続く尾根へ… 少し広い郭に出た…どうも2郭のようだ(主郭はこの先)
 
この先に2郭が‥‥右の写真に続く
 2郭からの眺望…  2郭…右端に案内板が見える
      
 主郭と2郭の間の堀切…
 
 
 堀切を上から見下ろす…細い土橋も見える。左の写真は土橋を降りて反対側から見たところ
 堀切の底から見上げる…現状は浅くなっている
2郭~主郭の間の通路と周囲の林木…  山頂部(主郭)が見えてきた…
右の写真のちょっとした削平地に到着。ここがどうやら主郭らしい、それほど広くはないが。…ここには石仏が祀られていた。右下の写真は13仏の2番目の釈迦大仏、帰途、墓地への出口のところで見つけた…
     
 
 墓地の最上段の処から檜原村役場方向を見下ろす…  バス停のすぐ横にあった、「檜原の口留番所・復元の木戸」…元和元年(1923)に三代将軍徳川家光が征夷大将軍に任ぜられて上洛した時に設置された。(現地の案内板より)  
     
交通アクセス:JR五日市線終点 武蔵五日市駅から西東京バス「数馬」行で「本宿役場前」下車すぐ…
※ You Tubeに「檜原城ー東京都檜原村」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください!

ギャラリー