萩ー城下町散策 その2 ~松本地区 松陰神社周辺を歩く~ 山口県萩市 2015.5.12-13 訪問お知らせ |
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松陰神社周辺の案内図…神社境内入り口に設置されていた | 松陰神社境内図… | |
松陰神社… | ||
松陰神社拝殿…左方向に松門神社 | 松陰神社由緒… | 勧学堂の説明板… |
勧学堂…松下村塾生だった品川子爵の霊を奉祀していたが、ここに移築勧学堂とした。 | 松門神社の説明板…昭和30年松陰神社の新社殿(現社殿)完成を機に、旧社殿をこの場所に移し塾生・門下生を祀ることになった。 | |
杉家旧宅の碑… | 吉田松陰幽囚の旧宅…国指定史跡 | |
吉田松陰幽囚の旧宅…松陰は吉田家の仮養子となるが当主が病死したため実家の杉家で育った。24歳の時に清水口から現在の松陰神社の地に移転した。 | 吉田松陰幽囚の旧宅の説明板… | |
幽囚室… | ||
修学旅行か…松本地区で松下村塾辺りだけが大勢の見学者がいた | 松下村塾 講義室との標示…どこかの会社の研修か? | |
塾生たちの写真(後方の壁)と手前には松下村塾の説明板… | ||
松下村塾を遠くから全景…松下村塾の看板が見えますね(実際に来てみると意外と狭い!杉家の方が大きい家だった) | 左の写真と同じ方向で、ちょっと後ろのに下がって撮った… | |
花月楼…7代藩主毛利重就が1776年三田尻の別邸内に建築したもの(昭和34年にここに移築) | ||
「維新胎動の地」と書かれている…吉田松陰歴史館の前の通路脇にあった | 塾生の一人、飯田俊徳の説明板…鉄道の父と称される井上勝を支えて鉄道の敷設に尽力した | 松陰神社から東光寺方面への新道に出てすぐ左側に、吉田俊丸誕生地の碑が… |
国指定史跡伊藤博文旧宅…すぐ隣に伊東博文別邸(明治40年に東京品川に建てたものを移築した) | ||
伊藤博文別邸(萩市指定史跡)…東京府下に建てた別邸は、車寄せを持つ玄関の奥に、中庭を挟んで向かって右に西洋館、左に書院を配し、さらにその奥に離れ座敷、台所、蔵を備えた広大なものであったが、萩へは玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築した。(入場時入手のパンフより) | ||
長州ファイブについての説明… | ||
片山東熊別邸の跡…説明は右歩写真参照 | ここから上に上がり、吉田松陰誕生地・玉木文之進旧宅方面へ行く… | |
玉木文之進旧宅… | ||
続いて、吉田松陰誕生地・東光寺へ… | ||
吉田松陰誕生地へ300m、少し登坂 | 松陰先生誕生地建碑…萩城かを見下ろす小高い山の上 | |
吉田松陰先生誕生の地の碑… | ||
遠くに萩城下と指月山が見える…松陰誕生地の家の区画が | 「松陰先生産湯の井」と記されている… | |
古びた石段がある…この下が先ほどの家の区画に | ||
吉田松陰先生銅像の説明板… | 松陰誕生地から見た萩城下・指月山… | |
吉田松陰・金子重輔の銅像… | ||
松陰誕生地と萩の眺望… | 吉田松陰他の墓所の配置図… | 高杉晋作草庵跡地顕彰碑… |
玉木家の墓所… | 高杉晋作の墓…慶応3年(1867)没 | |
左方向に吉田松陰の墓が… | ||
吉田松陰の墓… | 吉田松陰の墓ならびに墓所…説明板 | |
この後、東光寺に向かう… | ||
東光寺に向かう道(下り坂)… | 総門…国指定重要文化財・元禄6年ごろの建立 | 東光寺入口…大雄宝殿(国指定重要文化財)元禄11年建立 |
大雄宝殿の説明板… | 四太夫十一烈士の墓の配置図…禁門の変の責任を問われた増田右衛門介ら4人の家老と尊王攘夷派の11人が祀られている。禁門の変小責任を感じて自刃した周布政之助ん0招魂墓もここに建立された。… | |
毛利家墓所で3代吉就から11代斉元までの奇数代の藩主の墓所があるが、その配置図… | 楫取道明の墓の説明…小田村伊之助(後の楫取素彦)の二男 | |
楫取道明の墓… | ||
萩藩主3代吉就、5代吉元、7代重就、9代斉房、11代斉元並びに各婦人10基の外、近親者の墓が20余基ある。周囲には老杉檜の大樹が生い茂り荘厳な雰囲気。 | ||
このような感じで各藩主の墓が並んでいる…個別の識別はできなかった | ||
※「萩城下町散策 その1」をYouTubeにアップしました。 You Tube のページこちら)からご覧ください。 ※「萩城下町散策 その2」<旧松本村を歩くはこちらからジャンプ!>。 |