祇園城 栃木県小山市城山町 2014.1.23 訪問お知らせ |
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~ 築城主:小山正光 築城年:1460~65頃 主な城主:小山氏、北城氏、本多氏 廃城年:1619年 主な遺構:土塁、空堀 指定文化財 国の史跡 ~ | |||
小山城(祇園城ともいう)は小山駅の西方500m、思川東岸の台地上にある南北に長く、西側は思川の浸食によって切り立った崖になっていて、天然の要害をうまく利用している。東側は宅地造成が進んで旧状を失っているが、台地の部分には中世の名城の面影がよく残っており、史跡として保存が計られ、城山公園の名で市民に親しまれている。縄張りとしては幅10m以上の空堀と土塁で仕切られた郭が並び、天翁院の北側の塁堀が城の北限を示している。南は思水荘の一帯に及んでいるが、南限の線は明瞭ではない。小山氏は関東有数の豪族領主として知られ初代政光以来鎌倉幕府内で勢威を張ってきたが、第11代義政に至って関東管領足利氏満に叛したため滅亡した。やがて、室町幕府の配慮により、同族結城氏から基光の次男泰朝が小山に入って第2次小山氏の祖となった。(小山市がが現地に設置の案内板より抜粋・編集) | |||
思川に面した西面は河岸段丘となっており高さ20m程もあるとのこと。下の縄張り図のように下から、曲輪~馬出し~曲輪~曲輪、とそれぞれ空堀を挟んで配されている | JR小山駅 | ||
左が祇園城跡・城山公園の道標 | |||
先ほどの道標のところから 振り向くと小山駅 |
公園に入ってすぐ左にあった碑 | ここが縄張り図の一番手前の曲輪 | |
左が思川… | 思川を臨む方向がVIEW POINTとのこと | ||
祇園橋手前のところ | 祇園橋 | 祇園橋の下の空堀を見る… 下の人物が小さく見える! |
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祇園橋から、今度は思川方向を見る | こ思川に向かって右の 「馬出し」とある場所を見る |
祇園橋…思川方向 | |
思川と反対側方向の空堀を見る | 空堀の土塁を見上げる | ||
橋の隣の石垣 近代のものらしい | |||
祇園城跡の大銀杏橋 | |||
下から2番目の曲輪の周囲の土塁 | |||
空堀の底を歩いて最後の曲輪郡へ | 堀・土塁 5~6mはある | ||
鬼怒川の近くの堀 2号堀 | 曲輪の端から空堀を見る…わかりにくいけど結構深いです | ||
縦の空堀の突当り部分 | |||
思川に面した曲輪部分 | 先ほどの祇園橋が見える | 思川の川原・土手を歩くと 「小山正光と寒川尼像」があった |
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交通アクセス:JR小山駅から徒歩約10分 |
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