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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
遠江 二㑨城 静岡県浜松市天竜区二俣町 2017.11.1  訪問
  ~ 築城主:二㑨昌長  築城年:文亀年間(1501~1504年)?  主な城主:二俣昌長、依田信藩、大久保忠世、堀尾宗光 廃城年:慶長5年(1600年) 主な遺構:天守台、石垣、土塁 ~
二俣城の構造:標高90mの台地上に築かれた二俣城は、北側から北曲輪・本丸・二ノ曲輪・蔵屋敷・南曲輪がほぼ一直線上に配置されている。天守台のある本丸の南・北にそれぞれ虎口を設け、北虎口は喰い違い虎口である。本丸西側には小規模な天守台が残っており、石積みは野面積みである。本丸の南側には二ノ曲輪があり、枡形門跡がある。二ノ曲輪と蔵屋敷の間、そして蔵屋敷と南曲輪の間にはそれぞれ堀切ががある。
二俣城をめぐる攻防
  永禄11年(1568)12月から天正3年(1575)12月までの7年間、二俣城は、徳川・武田両氏の攻防の舞台となった。二俣城は天竜川と二俣川の合流点に位置する天然の要害であり、しかも、二㑨は遠江の平野部と北遠の山間地方とを結ぶ交通路の結節点で、遠州平野の「扇の要」であったからである。
 <元亀3年の攻防>元亀3年(1572)10月、武田信玄は大軍を率い、信濃を経て遠江に進入し二俣城を攻撃した。武田軍は力攻 めの方法をとらず、城の水の手を断つ作戦を選んだ。徳川軍の城兵が崖に櫓を建て、釣瓶で天竜川から水を汲み上げているのを知り、上流から筏を流して井戸櫓の釣瓶を破壊した。こうして2か月ほどで二俣城は陥落した。
 <天正3年の攻防>天正3年(1575)5月、長篠の戦いで勝利を得た徳川軍は、武田軍を一掃すべく二俣城の攻撃に着手した。鳥羽山に本陣を置き、毘沙門堂・蜷原・渡ケ島に砦を築き二俣城を包囲した。武田軍は7か月で兵糧が底をつき城を明け渡した。そして二俣城には大久保忠世が入城し、徳川氏が関八州へ移封する天正18年(1590)まで在城した。この間大規模な修築がなされ、天守台を始めとする諸施設を構築したと考えられる。

現地、二俣城本丸に浜松市教育委員会が設置の案内板「浜松市指定史跡 二俣城址」より抜粋
 ※ 徳川信康自刃事件:大久保忠世が在城中に起こった事件として、有名なものに家康の嫡子信康自刃事件がある。一般には、信康とその母築山御前が武田氏と通じていたことを理由に、織田信長が家康に命じたとされている。家康はこれを受けて信康を天正7年(1579)9月15日、二俣城で切腹させた。この事件は戦国哀史として広く知られている。(本丸に浜松市教育委員会が設置の案内板より抜粋)
新幹線浜松駅から遠州鉄道西浜松駅に行き、西鹿島駅行に乗る…西鹿島駅から天竜浜名湖鉄道で、二俣本町へ  西鹿島駅の3番線から天竜浜名湖鉄道に乗り換える…
       
 西鹿島駅の隣駅が二俣城最寄りの二俣本町駅… 二俣本町駅にあった案内図…時間あれば鳥羽山城跡と清瀧寺へ是非行ってみたい
    
 二俣本町駅…現在は無人駅
 
 一旦、鳥羽山城方向へ歩いてみたが、先ずは二俣城へと思いここから引き返した…  R152から少し西寄の登坂を上がる… 二㑨城址の石碑が道路の右側に… 
     
城址碑の反対側に「二俣城址入口」の案内表示が…この坂を上がると右側に旭ヶ丘神社への入り口・階段が見えてくる
     
 階段を上がりきると、本丸と北曲輪をつなぐ通路の下へ…  左のトンネルを超えて、北曲輪と本丸の間の堀切(天竜川に落ちる竪堀)を見る…右の通路を下りていくと腰郭を経て搦手方向に 
     
階段を上がって神社(北曲輪)とは反対方向へ歩く…この先に喰い違い虎口
 
 本丸への喰い違い虎口(本丸北虎口)…左右に土塁がある。この喰い違い虎口は近代の改変で往時の様子はよくわからないとのこと ※縄張図標示    虎口の左側に「本丸」の標示柱…虎口左の土塁に上がれる
  
 虎口の右(北)側の土塁・石積み…
 
虎口左側の土塁…
     
 「土塁」との標示柱…
 
 本丸広場にあった説明版より縄張図を拝借…  本丸から二ノ丸への途中の一ノ門か…
     
 一ノ門の北側の土塁上…
 
二ノ丸方向へ歩く… 一ノ門(?)に降りてみる…※ 
二ノ丸に到着…
 二ノ丸の南側端の土塁…  二ノ丸への虎口追手(?)…右側部分が櫓台跡らしい…※縄張図標示  更に土塁上を北へ進む…
 「土塁」の標示柱が…  土塁上から二の丸を見下ろすと「城山稲荷」が見える…
     
 下へ降りて、蔵屋敷との間の堀切方向へ進む…
 
 途中にこんな警告が…   蔵屋敷との間の堀切…この堀切の向こう側は「蔵屋敷」と呼ばれる曲輪。その向こうには縄張図では「南曲輪」だが進めず…※縄張図標示
     
 堀切の底…ロープが張られており降りられなかった
 
 本丸の標示柱…この左側部分に天守台がある   二ノ丸にある城山稲荷神社…
     
本丸との境部分に「石積み」が見える…いつの時代のものか不明
 
 天守台への上がり口…階段の最後は木製の段が見える  天守台…一時的に、復元天守があった由だが、このままで十分ですね!
※縄張図標示
     
 天守台上西側、天竜川方向を見る…
 
 再び最初の喰い違い虎口まで戻り、今度は北曲輪(旭ヶ丘神社・右の写真)へ行く…※縄張図標示  
    
 最初の橋の下通路を通り、階段下へ降りる…
 
 右の写真の通路に再び戻り、城山稲荷神社の鳥居のある通路を真っすぐ降りて、清瀧寺を目指したかったが時間なく断念、二㑨本町駅に戻る… 
     
 天竜浜名湖鉄道の「二俣本町」駅に来た…無人駅で線路は単線・ワンマン
 
アクセス:新幹線・東海道線浜松駅から、遠州鉄道・天竜浜名湖線で、二股本町駅下車徒歩約15分
※ You Tubeに「遠江二俣城 静岡県浜松市」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください… 

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