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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

福岡城 福岡市中央区 訪問 1st 2013.3.6、2nd 2014.10.13お知らせ

 〜 築城者 黒田長政 築城年 1601年 主な城主 黒田氏 廃城年 1871年 遺構 櫓4棟、門3棟、石垣、堀 指定文化財 国の重要文化財(多門櫓、二の丸南隅櫓) 国の史跡 再建造物 二の丸北隅櫓、大手門 日本100名城(85番)に選定 〜
 
福岡藩初代藩主黒田長政が、慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて築いた城の跡です。天守台を中心にして本丸、二の丸、東西の三の丸からなり、周囲を堀で囲む構造です。47の櫓を築きましたが、そのうち多聞櫓、祈念櫓、(伝)潮見櫓は現在でも見ることができます。藩主ゆかりの地、備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市付近)にちなんで福岡城と名付けられましたが、別名舞鶴城とも呼ばれます。昭和32年に国史跡に指定されました。(現地に設置の案内板「福岡城跡」より)
地下鉄「大濠公園」降りたところにあった案内板より
…地図の右方向に歩いて「福岡城跡」を目指す。
大濠公園入口…黒田長政が築城時に、博多湾の一部を埋めて、福岡城の「大堀」としたのがその名の始まり。
大堀公園に面した公園の端に「土塁」が残る
こちらも土塁跡だろう… 名島門(なじまもん)…内側から見る。 門を出る手前の左側の石垣
 福岡城址の石碑… 小早川隆景が多々良川口の名島に築いた名島城の脇門で、黒田長政が居城を名島城から福岡城に移す時に、黒田24騎の一人である林氏に下げ渡され、邸宅の門として使用されていたもので、「名島ひけ」と呼ばれた名島城の数少ない遺構のひとつ。…戦後、この地に移された。(現地の案内板より抜粋)
     
 天守閣方面へ行く途中の石垣…
 
 江戸時代城郭図…名島門のそばにあった案内図より。  左が「本丸裏御門跡」等の標示の横を通り二の丸・本丸方向へ
     
裏御門跡へ続く通路…
 
本丸裏御門跡… 
     
 本丸方向途中の石垣を見る…
 
 ここから天守台方向へ…天守閣はいまだ存否が確定せず議論が続いているが、仮に存在したら天守台の礎石や石垣の規模から5層の大天守閣が建っていたと推定され、東側に中天守、小天守が立ち並ぶ52万石の大藩にふさわしい威容を誇ったに違いありません(現地の説明版より抜粋)
     
     
 天守台より二の丸広場を見る…   天守台上の通路の手すり…
     
 本丸跡…
 
 鉄御門跡(くろがねごもんあと) 本丸跡…
     
 本丸内にあった井戸跡… 本丸内部… 本丸から祈念櫓方面を見る
     
 祈念櫓への階段…  祈念櫓 鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、1860年3月に竣工、同年10月に竣工したもの。この櫓は、大正7年に陸軍省から払い下げられ、北九州市の大正寺境内に移築、観音堂として使用された。そして昭和58年、同寺より福岡城の旧位置に戻された経緯がある。(現地の説明版より)
     
 右側が二の丸…
 
 表御門櫓跡の標示…二の丸方面へ降りる。  二の丸に来た…
     
 扇坂御門跡方向へ…
     
 東御門跡…
     
 東御門跡…二の丸と三の丸をつなぐ門  東御門跡の標示板
     
 三の丸方向へ(福岡城むかし探訪館方向)へ…
 
 三の丸で見た石垣…  鴻臚館跡のそばの道路から内堀を見る… 上之橋御門から内堀の橋上から濠を見る…
     
 上之橋御門…  
     今回は、スーパー台風が九州直撃の最悪の天候のもとの訪問でした。時間も余りないところに、足元も悪く、国の重要文化財である多聞櫓及び二の丸南隅櫓。そして潮見櫓、黒田官兵衛隠居の地、旧母里太兵衛艇邸長屋門も見ることができませんでした。いつか改めて訪ねたいと思います。
アクセス:福岡市地下鉄空港線赤坂駅下車徒歩15分位
     地下鉄大濠公園3・5番出口より徒歩10分位  

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