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江戸崎城 茨城県稲敷市江戸崎 2016.11.20 訪問お知らせ
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~ 築城主:土岐原氏 築城年:永享11年(1439) 主な城主:土岐氏、芦名氏 廃城年:1600年頃(関ヶ原の戦い後廃城となった模様) 主な遺構:郭跡、土塁 ~ |
江戸崎城は、茨城県稲敷市江戸崎に位置しており、公共交通機関での訪問は難しいとも聞いていたが、土浦駅からJRバスが江戸先行きの終点の江戸崎駅(バスターミナル)から徒歩10分位で二の丸跡と思われる江戸崎小学校に行ける。因みに土浦駅から江戸崎までのバスでは乗車時間約50分で、そこそこの定期バス便がある。江戸崎城は、木原城と同様に霞ヶ浦近くの丘陵上に築かれている。築城者は、美濃の土岐氏の流れを汲む土岐原氏が永享11年(1439)に築城したと言われている。その後、北条氏の関東進出に際し、北条氏に従ったが、その後、秀吉の小田原征伐の際に、秀吉に味方した佐竹義宣に攻められて江戸崎城を奪われた。北条氏没落後は佐竹義宣の二男の芦名氏が江戸崎城に入ったが、佐竹氏が石田三成に予したため。出羽へ国替えとなり芦名氏もそれに従ったことから江戸崎城は廃城となったようだ。現況は、小学校や神社、研修センターなどになっており、よく注意して見ないと遺構が確認できない。また、案内の道標なども殆どなく、充分に、回れなかった。改めて、機会を見つけて訪ねたいと思う。 |
土浦駅からJRバス霞ヶ浦線にて、江戸崎駅(バスターミナル)へ…ここから少し先に歩いて、城跡である江戸崎小学校、鹿島神社そして瑞祥院に行った…右の2枚の写真は市街の商店街風景 |
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鹿島神社…元亀元年(1570)江戸崎城6代城主土岐美濃守治英が城内守護神として鹿島神宮の分霊を城の二の丸の地に勧請したことに始まる(左下の写真説明より)。この神社の北側には高土塁がしっかり残っている…少し後の写真参照 |
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神社境内に入ると右側に土塁の残存が。右の写真に続く…この後ろには空堀の跡思われる道路が見られる。 |
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旧三の丸への通路(虎口?)…瑞祥院~五百羅漢(羅漢山)の方向へ |
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右上の虎口のところの土塁… |
瑞祥院入口の通路の両側にあった池…この池のところが旧水堀の名残か? |
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瑞祥院との間の道路(旧堀跡?)…この左側が瑞祥院 |
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三の丸の位置に、臨済宗の古寺「江上山竜雲寺」瑞祥院が、この古寺は、文和元年(1352)足利尊氏の開基と伝えられる。 |
上の写真の反対側の池… |
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「羅漢山の夕照」として知られる江戸崎八景…裏の羅漢山からの夕日 |
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金毘羅神社への階段… |
三の丸の南端から羅漢山に通じる尾根道…この尾根道は幅約1m程 |
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金毘羅神社…この裏に羅漢山尾根道(右の写真) |
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尾根道の途中に竪堀に遭遇…右の写真はその竪掘りを見下ろして撮影したもの |
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江戸崎市街地を見る… |
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山頂の念仏堂?周囲は石像群… |
五百羅漢…文化元年(1804)に完成した石造群 |
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羅漢山から瑞祥院(墓地)に降りてきた… |
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瑞祥院から鹿島神社の裏手を通り、二の丸~本丸方向へ歩く…ここは鹿島神社のすぐ裏(西側)の通路でひょっとしたら旧堀跡か? |
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小学校の体育館のような建物とその右に土塁跡のようなものが… |
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ぐるりと回って、東側のバス道路に出て江戸崎小学校の正門の前を通り(右の写真)江戸崎バスステーションを目指す…途中に左の写真のような場所を見た(ここは二の丸の土塁?) |
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江戸崎商店街情報館の「笑遊館」の前にあった稲敷市マスコットキャラ”稲敷いなのすけ”… |
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交通アクセス:JR常磐線土浦駅から JRバス霞ヶ浦線にて、江戸先行きで約50分で、「江戸崎」バス停へ。そこから徒歩約10分で旧二の丸跡と思われる江戸崎小学校へ…
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