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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

千早城 大阪府南河内郡千早赤阪村 2017.9.25 訪問お知らせ

  ~ 築城主:楠木正成  築城年:元弘2・正慶1(1332) 主な城主:楠正成、正行、正儀(まさのり)、正勝 廃城年:明徳3(1392)年 主な遺構:郭、空堀など 国指定史跡 日本100名城 ~
元弘2年(1332年)楠木正成が構築し、翌年5月まで百日間、藁人形等の奇策をもって鎌倉幕府軍の攻撃に堪えて建武中興の原動力となった難攻不落の名城である。標高660米で、城の南(妙見谷)、北(風呂谷)、西(大手口=現在地)の三方を急斜面で、府道との比高は150米。東方だけが尾根伝いに金剛山に通じる天然の要害である。五百数十段の石段を登ると四の丸があり、それより本丸までの奥行が約300米、その比高は約30米である。
太平記に、敵は百万騎、身方は僅かに千人足らずにて、「誰ヲ慿ミ(たのみ)何(いつ)ヲ待共(まつとも)ナキニ城中二コラへテ防ギ戦イケル楠木ガ心の程コソ不敵ナレ」とある。
文化庁・大阪府教育委員会・千早赤阪村教育委員会が昭和9年3月13日史跡指定を機に、現地に設置の案内板「史跡 千早城跡」より。
南海高野線「河内長野駅」…ここから南海バスで約20-30分  現在地との標示の場所にあった案内板より…先ずは「まつまさ」方向へ歩いた
     
 金剛山登山口のバス停…ここから登山道或いは階段を上がる
 
 「まつまさ」の先、登山道入り口にあたる…  バス停近くにあった案内板… 
     
「まつまさ」…日本百名城スタンプがある
 
 登城口に「説明版」…冒頭に引用  登城石段…直線の階段が続くが、真ん中に手すりがあり登りやすい。この先には蛇行するような石段に続く。当時の通路というより千早神社の参道として整備されたようである 
     
 登城口(大手口)…千早神社まで約25分と記されている
 
右の写真の鳥居を過ぎてひたすら石段を上がる。比較的緩やかな階段であり思ったよりは歩きやすい…五百数十段の階段で、城跡は府道との比高150米。
  
 上の写真から左の写真へ、そしてこの写真に続く…鬱蒼とした山道だが時折眺望が開ける
 
山頂に近づいてきた…下の写真に続く  第四郭…約100x30mと場内で最も広い郭。河内平野が一望される。
     
 第四郭が見えてきた…
 
 第四郭に入り、すぐ右側(南東側)の千早神社方向への階段を進む…  すぐ上の写真(第四郭)の右端部分に「千早城址」碑が…
     
 第四郭からすぐ右側(南東側)の千早神社への通路が…この後は、左の写真に続く
 
 この先に千早神社… 第三郭に建つ城址碑…
     
 右側の建物は神社の社務所だろう…案内板では「千早城お守り由緒」が。十数万の幕府軍に千人足らずの小勢で百日間に及ぶ攻防戦を繰り広げ幕府軍を撃退し、「守り」抜いたことから菊水のお守りが出来たとか
 
 千早神社本殿手前の社… さらに階段を上がり本殿へ向かう…  千早神社の鎮座する第二郭…
     
 第二郭全景… 千早神社の説明板…本丸跡に元八幡大菩薩を祀って千早城の鎮守として創建された
     
 上の写真から、この写真に。そして左の写真に続く…
 
第二郭の端に「金剛山登山道」及び「千早城本丸跡」の道標が… 第二郭から東の方向、主郭を探して神社の裏側に回る…
    
 上の写真のところ(第二郭)に鎮座する千早神社…この裏を含めて、この辺を主郭とする説明もある
 
右2枚の写真の場所を通り暫し歩くと、ちょっとした広場に出た。休憩所・展望台のようにも見えるがこの辺が主郭跡では?と思ったが、目印の城址碑は見当たらぬ…この辺を暫く歩いたが主郭跡と特定できる場所は分からず神社方向へ引き返す
     
神社の真下にあたる場所を裏側へ行く…
 
 神社の下の分岐に戻る… この辺から主郭?この裏に切岸があると聞くが、立ち入り禁止であった… 
  
第三郭と第四廓の間の鞍部…ここに堀切があったとも言われるが改変されていて確認できず
 
 登城口前の「富田林警察署 千早駐在所」のところにあった道路案内図…  再び第四郭に戻った。階段を下りて帰途に就く…
     
 第四郭の端から急峻ながけ下を覗く…
 
アクセス:南海高野線「河内長野」駅或いは近鉄「富田林」駅からバス。
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