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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

備前・下津井城 岡山県倉敷市下津井  2019.5.28訪問お知らせ

 〜 築城者 宇喜多秀家 築城年 文禄年間(1592-1596) 主な城主 宇喜多秀家、平岡石見(小早川の家臣) 池田河内守長政、池田由之、荒尾但馬、池田良成  廃城年 寛永16(1639)年 遺構 石垣 郭 県指定史跡 〜
この城は慶長のはじめ宇喜多秀家によって築かれたが、後、小早川の家臣平岡石見が居城、次いで慶長8年(1603)の池田河内守長政(禄高32,000石)の守るところとなり城郭に一大整備がなされ城は慶長11年に現在の遺構にみるような本格的な形態をととのえるに至る。後、池田由之、荒尾但馬、池田良成の歴代城主を経て一国一城の制令のため寛永16年(1639)廃城となる。」(現地案内板「下津井城跡遺構図」の説明文より)
  JR瀬戸大橋線「児島」駅…ここからバスかタクシーで”瀬戸大橋記念公園”を目指す。  児島駅前にあった案内板より…瀬戸大橋を見下ろす位置に「下津井城跡」が…
   
  児島駅前の案内板より…
 
 「瀬戸大橋架橋記念公園」から下津井城跡方向へ「遊歩道」を歩く…途中から街灯に「下津井城址」の標示が見られる 西の丸への分岐点のところに「馬場?跡らしき場所」…
     
 「馬場跡」全体を見る…西の丸の崖部分に石垣が見られる…右の写真は、北側の端の休憩所(東屋)。
     
 馬場跡から南方向へこの坂を上がり「西の丸」へ…
 
 あちこちに石が見られる… 「西の丸跡」…晴れていれば海が見渡せたのか?
     
 「西の丸跡」の西方を見る…
 
 「西の丸」から「本丸」への通路…土橋状だけど石積みの上に  土橋上にて…
 
上の写真の続き部分…ここにも石垣
左「馬場跡広場」(最初に入ってきた郭)、右「本丸跡広場」の道標…  本丸手前の石垣…野面積みだが雰囲気が出ています。
「本丸」手前の石垣部分…
 「下津井城跡」の標示柱がある「本丸」跡広場…  「本丸広場」へ上がる通路…
     
 「本丸跡」の標示柱…奥に、左の写真の「下津城跡」の石碑が…
 
本丸跡広場から、南方向の天守跡を見る…  「天守跡」の標示柱のある広場…それほど広くない。本当に天守があったとしても小さな天守だったか?
     
 「天守跡の標示」ある郭の端に来た
 
 再び本丸跡の広場にて全景を見る…  「中の丸跡広場」方向へ行く…
     
 「二の丸跡」の標示柱のそばにあった案内板より、城跡遺構図…縄張り図   二の丸跡…
       
 架橋方向が見えるはずだがあいにくの天気でした…  「三の丸跡」方向へ進む…一部石積の残存が見える 
     
 三の丸跡… 
     
 二の丸跡から中の丸跡方向へ…
 
 三の丸跡から少し本丸方向に戻る形で「二の丸跡」へ…石垣の張り出し部分があった(左の写真)。この上に櫓でもあったのか?この辺の石垣は素晴らしい 
     
左上の写真に続く… 
 
三の丸跡を過ぎて、東方向へ進むと「掘割跡」に…
さらに東にどんどん進む…
 中の丸跡広場全景…  中の丸跡広場(左の写真)へ… 
     
 瀬戸大橋方向を見る…相変わらず曇天でぼんやりしか見えない
 
 更に進み、道なりに行くと、南側の麓に降りる道が…  中の丸跡…南側(海の方向)を見る 
     
 下津井西小学校〜むかし下津井回船問屋方面へ降りてゆく…
 
 「下津井街並保存地区」…下の案内板参照   下津井西小学校」…この横を通り下津井漁港方面へ歩く
     
 むかし下津井回船問屋…明治時代の回船問屋の建物を復元した資料館。下津井にまつわる資料の展示や、地元特産物の販売、食事処もある。訪問時は休館日だった。
 
 「下津井街並保存地区」の説明版…  鷲羽山から見下ろした「瀬戸大橋」…あいにくの天候でした
     
 北前船が港に入ると船乗りたちの上陸を待ちわびていた女郎衆が「まだかな、まだかな」と橋から声をかけたことに由来するとか…
 
 
アクセス:JR西日本瀬戸大橋線「児島」駅からバス・タクシー
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