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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  備中・庭瀬城 岡山県岡山市北区庭瀬 2019.5.26 訪問
 〜 築城者 三村元親 築城年 不詳(永禄2年 1559年頃?) 主な城主 戸川氏、久世氏、板倉氏 廃城年 明治2年(1869年) 遺構 石垣、堀 別名 庭瀬陣屋 〜
室町時代の末頃(約400年前)備中松山の三村元親は備前の固めとしてこの地に築城した。付近の地名から芝場(こうげ)城とも呼ばれた。一帯は泥沼地でひじょうな難工事であった。その後宇喜多の重臣戸川肥後守達安がはいり(1602)古城を拡げ城下町をととのえた。元禄12年(1699)板倉氏の居城となり明治を迎えた。自然石の石垣をめぐらした堀もよく残り、沼城の典型を示している。寛政5年(1793)板倉勝喜は城内に清山神社を建て板倉氏中興の祖重昌、重矩父子を祭り歴代の遺品を収蔵した。(遺品は現在吉備公民館に収蔵)…現地に設置されていた案内板より引用。
 JR山陽本線「庭瀬」駅から、徒歩約10分。街の中の平城だが石垣と堀が残る。説明板によれば、一帯は泥沼地であり沼城の典型を示している由。 JR庭瀬駅北口…ここから徒歩約10分で城跡のある清山神社へ。
 道標はよく整備されている…
 道標に従って、庭瀬駅北口から西方向に進むと、城跡の石垣・水堀が見えてくる…
     
 城跡の一角の水堀のところに来た…  一般住家が堀のすぐそばまで迫っている…この石垣は当時のもらしい。
 庭瀬城跡の入り口にあった道標…この橋の先に撫川城跡が。
城跡碑・道標のところを入って、道路側を振り返り見る…北側虎口(図面では、北出入り口と標記)と思われる。通路両側の土塁が結構大きい。案内板によれば、主郭部と土塁頂部の比高差は1.9 2.9mある由。 堀を渡り、城跡碑のある方向へ行く…
     
左の写真の一角にあった説明版…内容は冒頭に引用した。
 
 八幡宮境内に「庭瀬城跡」の石碑が… 
 八幡宮の鳥居越しに八幡宮本殿(?)が見える…
 八幡宮境内のそばから水堀を見る… 八幡宮を横(南)側から見る…
     
 再び橋を渡って、今度は隣接の撫川城へ進む…
 
アクセスJR山陽線「庭瀬」駅から徒歩約10分…

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