備中松山城 岡山県高梁市内山下 2013.5.30 訪問お知らせ |
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~ 築城者 秋葉重信 築城年 1240年 主な城主 三村氏、水谷氏、板倉氏 廃城年 明治7年(1874年) 遺構 現存天守、櫓、塀、石垣、土塁 その他 国の重要文化財(天守、二重櫓、土塀) 国の史跡 再建造物 櫓、門、塀 日本100名城(68番) ~ | |||
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JR備中高梁駅を降りて右側約50mにある観光案内所でもらったパンフ。ここで観光乗合タクシーを頼み、ふいご峠へ(片道1人420円、帰りも迎えに来てくれる。但し、時間指定あるので要注意) | ふいご峠駐車場より本丸を目指す、本丸までは約700m(徒歩20分)と割と楽。高齢の女性も目についた。また、「本日の登城大儀であった 城主」とか、ユーモアのある標識も | 上太鼓丸櫓石垣、立派に残っていた。ふいご峠駐車場を挟んで後方に下太鼓丸櫓跡がある。 | |
上太鼓丸跡標示石碑、これからもしっかりとした石碑表示が出てくる | 大手門手前 苔むした岩と新緑が絶妙 |
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大手門 これが見えた時、 ウワ~との思い! |
大手門より中を臨む いよいよ入城 | 大手門の右の石垣の上に足軽番所、入口直ぐっていうのは今も昔も変わらない? | 先程の足軽番所への階段、右が番所 |
大手櫓 足軽番所と大手門を挟んで反対側の櫓跡 | 大手門から本丸方面の左の土塀。復元のものの中に現存のものがあるという | 三の平櫓跡、今後、十の平まで出てくる | 路地門跡 こことは別に六の平から城外へ抜ける虎口、復元路地門もある |
ここにも足軽番所 三の丸がある平面と同じところにあった | 三の丸 結構な広さがあった | これも三の丸と同じ平面にあった上番所、足軽番所の隣にあった | 厩曲輪へ続く黒門(名前からして鉄板を張ったもんではなのでしょうね?) |
厩曲輪跡 二の丸に 向かう右側にあった |
前後したが、厩曲輪に入る厩門跡 | ここで四の平櫓跡が出てきた 数字は櫓に順番につけられたのか? | 御前棚跡 もともとは食事を作る場所。今ではトイレになっていた… |
二の丸の下の石垣 しっかり築かれているように思われる | 二の櫓門跡 奥に見えるのが天守、いよいよクライマックスへ | 二の丸跡 この右奥が天守、 ここも結構な広さがあった |
二の丸から天守を見る。 二の丸の真ん中から撮ったので後ろも二の丸、広い! |
二の丸内にあった雪隠、トイレとしてだけでなく戦闘用にも使ったとか | 右、天守、このアングルが美しく見えると思うのだが? | 天守に入る前に石垣の右側の道を進み周囲を先に見た | |
本丸東御門を外側から見た。本丸内唯一の引き戸で常時本丸内に人がいなかったことが知れる由 | |||
東門を少し進むと右に搦手門曲輪跡があった | 搦手門曲輪跡を少し進んだ天守の石垣、石と苔の組み合わせが何とも | これが搦手門跡 ここを更に進んで行けば松山城以前の大松山城址へ、道らしきものは無かった | 搦手門側にも番所跡が、警備の厳しさがうかがえる |
少し戻って天守の外から椀木御門(復元)を見る。木造瓦葺き、二重櫓の正面脇、本丸の裏門 | 十の平櫓跡、ここ以降は昔の松山城へ続くので十が最後か? | 水の手門跡、この道を進めば大松山城か?こちらのほうがそれらしいか? | 後曲輪 先ほどの二重櫓の北側、我々が行った最も北にあった曲輪 |
九の平櫓跡 | 二重櫓 天守の北側 天然の巨石を櫓台とした二重2階建て | 本丸南御門 訪問者はここからしか天守に入れない 料金は300円でした | 本丸内にも七の平櫓 |
こちらは六の平櫓 | 天守閣 大きさは小さいがずっしりとした重みを感じた | ||
本丸石碑 後は本丸石垣の下部 | |||
アクセス:JR備中高梁駅から観光乗合タクシー利用が便利 毎日運行・要予約 運行時刻(訪問時) 備中高梁駅発 09:50、11:20、12:50、14:20 ふいご峠発 11:40、13:10、14:40、16:10 片道 420円/人 ふいご峠から本丸付近へは山道を徒歩約20分 |
※ 備中松山城をユーチューブに投稿しました。こちらからユーチューブに入って見ていただければ… |