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別府城 埼玉県熊谷市東別府 2015.2.27 訪問
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〜 築城者 別府氏 築城年 平安時代 主な城主 別府氏 廃城年 天正18年(1590) 遺構 土塁、空堀 現況 東別府神社(一部は住宅地化)指定文化財等 埼玉県指定史跡 〜 |
別府氏は、成田氏系図によると、成田助高の二男二郎行孝が別府に住んでから、その子太郎能幸は東別府に、二郎行助が西別府に数代相対して領地した。この城跡は、東別府家の館として、東西南北ともに約一町(100余メートル)四方で、周囲には幅約2〜3mの横堀(現在は西、北、東側に残っている)をめぐらし内側に高さ約2mの土塁を築き、中世の武士の館として典型的な形を見ることができる。太郎能幸に始まった東別府家は、それから11代目の尾張守長清まで続いたが、天正18年(1590)豊臣秀吉の北城氏攻略に際し、敗軍側についたため家禄を失ってしまったので、この東別府城も廃城になってしまった。(埼玉県教育委員会・熊谷市教育委員会が、昭和54年3月31日に現地に設置の案内板、「埼玉県指定史跡 別府城跡」より) |
JR高崎線籠原駅…ここから徒歩約25分 |
西側の喰違い虎口部分…周囲を取り巻く堀・土塁がよくわかる |
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神社の西側の城址柱がある場所…この道の突き当り部分に右の写真の虎口 |
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右上の写真の左端の部分…現状はコンクリート橋になっている |
左の虎口に入らず、北側へぐるりと回ってみる…右回りで |
右側が神社…神社の北側の道路沿いに |
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北西の角の土塁と堀… |
北西の角当たりから、先ほどの虎口入口の橋の方向を見る… |
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虎口部分から入ってきた通路(城址碑の柱があったところ)を見る… |
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上の写真の続き…右側に神社 |
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東側に出て、南方向を見る…こちら側も浅井堀と土塁が(右側が神社) |
土塁上から北東角の橋の部分を見る |
南にまっすぐ歩くと民家のブロック塀に突き当たる… |
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東側の堀と土塁…改変されているのか堀の幅も狭いし、浅い |
ブロック塀に沿って西方向へ… |
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土塁上から南側の堀を見下ろす…土塁下は犬走状になっている? |
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南側の、正面からの通路…通路の西側に、東別府神社の鳥居と、説明板・城址碑が… |
この写真のすぐ下(一番右)の説明石碑に記載の縄張り図を拡大した… |
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埼玉県と熊谷市が設置の案内板… |
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神明社鳥居のすぐ横にあった石碑…「東別府館址」と標示… |
東別府神社… |
別府城跡の石碑…神社は行隆が鎮守神として奈良の春日神社を勧請した、などの説明が書かれている |
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石碑のところから南側の堀・土塁を見る… |
西側に進み、土塁上から西側を見る… |
左側に神明社の社が少し見える…右は南側の土塁・堀 |
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西側に戻って、堀をを見る…この辺は土塁の高さも2m強はある |
西側土塁の上から撮影… |
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神社内にあっ「別府城址碑」の石碑 |
西側の土塁上から撮った、西側虎口から神社内に入る部分… |
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食違い虎口部分を土塁上から見る… |
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北側の土塁上から、堀と道路を見る… |
北側の土塁上から神社(左)と道路を見る… |
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東側の入り口部分…突き当りが堀 |
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東側の土塁上から、北側を見る… |
東側から神社内部方向を見る…左側にゲートボール場があった |
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東別府神社本殿… |
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アクセス:JR高崎線「籠原」駅から徒歩約25分…バス便もある
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※「別府城ー埼玉県熊谷市」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。 |
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