|
足柄城 神奈川県南足柄市、静岡県駿東郡小山町 2015.10.24 訪問お知らせ
|
~ 築城者 不明(北条氏綱?) 築城年 不明(天文5年 1536年?) 主な城主 北条氏 廃城年 1590年頃 遺構 郭、堀、土塁、井戸跡 ~ |
足柄城は、神奈川県南足柄市と静岡県駿東郡小山町の境にある足柄峠に位置する。足柄峠は標高約759mのところにあり、平安時代から足柄の関が置かれていた要衝の地である。北条氏によって築かれた足柄城は、山中城、韮山城と共に小田原城を守る重要な支城としての位置づけであった。築城の時期、経緯についても定かではないが、天文5年(1536年)頃北条氏綱が築城したと伝えられている。最も高いところに主郭を置き、そこから北西部に続く尾根を利用して、五つの主要郭を連続して配し、すべての郭の周囲には土塁があり、各郭の間に堀切・空堀によって独立している縄張構造である。豊臣秀吉の小田原攻めに際しては北条氏政の弟北条氏光が入り、山中城と共に小田原城の守りとした。しかし、圧倒的多数の豊臣軍に対して山中城はわずか半日で落城し、足柄城も戦闘らしい戦闘も無いまま、北条氏光は小田原城へ退却した。その後、井伊直正に攻撃されて落城している。(現地に南足柄市や小山町が設置の案内板及び「静岡の山城
ベスト50を歩く」(加藤理文・中井均 編)等を参考にしました。) |
伊豆箱根鉄道「大雄山」駅(左の写真)…この駅舎は南足柄市 登録有形文化財。ここから箱根登山バスで「地蔵堂」乗り換え「足柄万葉公園」バス停下車。いくつかのハイキングコースや登山ルートがある(右の写真参照) |
|
|
バス乗り換え地点の「地蔵堂」…神奈川県指定重要文化財である、室町時代末期作の「厨子」及び「木造地蔵菩薩立像」があるとの説明板があった |
|
箱根登山バス…やや小ぶり。足柄万葉公園は3つ目のバス停、約600m位だが可成り急な坂道だ |
|
|
|
足柄万葉公園入口(右の写真)にあった案内図…足柄城址は一番左に記載されている |
|
|
左の写真の案内板の裏にあった「足柄峠」の説明… |
|
上の案内図にあるようにいくつかの歌碑がある。これは上の案内図の⑥か? |
北条氏が築いた砦跡が万葉公園一帯にあったとのこと…足柄城と浜居場城をつなぐ尾根筋にいくつもの砦が築かれた |
「足柄峠」…神奈川の景勝五十選と読める |
|
|
|
足柄万葉公園の入り口付近から見た富士山… |
|
ここから静岡県小山町(神奈川・静岡県境界)…ここを左に入ると足柄明神及び「足柄城明神郭・空堀」がある |
足柄明神社説明板… |
|
|
|
足柄城明神郭空堀…藪状態で入れず |
明神郭…遠く横浜方面を臨む |
足柄明神跡の説明板… |
|
|
|
明神郭から矢倉岳方向を見る…古代、防人に行く坂東人がここで別れを告げたとか |
足柄明神の石祠…右手には比較的新しい「白鹿」像が |
|
|
矢倉岳… |
|
史跡 竹之下合戦…南北朝時代の建武2年12月11日に、足利尊氏勢と新田義貞軍の間で行われた合戦(後醍醐天皇が足利尊氏を討つために新田義貞を派遣したが失敗し、建武政権は崩壊した(Wikipediaより) |
足柄道の説明板…奈良・平安時代の官道。東海道が主流になるまでは都から関東に入る玄関口であった、等々の説明が。足柄古道としてところどころに残存がある(右の写真)。 |
|
|
|
足柄の関跡…足柄の関は899年委強盗団を取り締まるために作られたとの説明が、また黒澤明監督の映画「乱」の撮影で使われた城門のセットを足柄の関伝承地へ移築したもの、との説明も(右の写真)。 |
|
|
足柄峠一里塚… |
|
日本武尊は天皇より東征の命を受け、上総へと出発し、途中の数々の苦難を乗り越え云々説明が…右の写真の右側部分 |
足柄峠 標高759m 静岡県小山町の標示柱… |
|
|
足柄峠主要史…右の写真の左側部分 |
|
足柄古道に入り、足柄城跡の遺構を辿る…とからついた名前。 |
山の神郭…この端の方に「山の神社」がある(右の写真) |
|
|
|
山の神郭の、「山の神祠」がある場所… |
県道78号線がすぐ下に走っており、そこに「新羅三郎義光吹笙之石」の碑…後述する |
|
|
県道には多くのライダーが… |
|
県道を挟んで、山の神郭から主郭へ続く木橋が復元されている?(コンクリート製だが) |
|
主郭に着いた…休憩所的な場所 |
「玉手ヶ池」との標示…干ばつ続きの折には池の水をかきまわし雨乞いをすれば必ず降り「干天の慈雨」とされたとの言い伝えが |
|
|
|
「玉手ヶ池」全景…池の底には水が見えないが、湿地状で中央部分には進めなかった。「史跡と伝説」との説明板が池に倒れたままであった(右の写真)。池の名称は足柄峠の守護神足柄明神姫、「玉手姫」よりつけられた、等々の説明が |
|
|
少し離れた場所から池を見る… |
|
主郭内部…「一の郭」の標示と「相模国南足柄領」の標示。 |
毎年9月の第2日曜日に、相模の国(南足柄市)と駿河の国(小山町)が「領地争奪綱引き合戦」を行い、勝者は次回の笛まつり開催までこの足柄峠広場を領地とすることが出来る由…左下の写真説明より |
|
|
|
本足柄城の石碑から富士山を臨む…晴天下ではあったが少し霞んでおりくっきりとは見えなかった(でも見えますよね?) |
「足柄公園」の石碑… |
|
|
「遊歩道入り口」の標示板…二郭方向へ行く |
|
主郭と二郭の間には大きな空堀が見える |
主郭にある石列…中央にまっすぐ走っている(塀か建物の基礎だった?) |
こ主郭の南端から、県道を見下ろす… |
|
|
|
主郭と二郭の間の空堀…右の写真が「空堀跡」との標示 |
二郭に上がって空堀を見下ろす |
|
|
|
「二の郭」の標示板… |
先ほどの空堀を改めて二郭から見下ろす… |
|
|
二の郭からの眺望… |
|
二郭と三郭の間の空堀… |
|
|
空堀跡の標示板… |
|
上の写真の空堀を底面から見る… |
三郭の広場… |
「三の郭」の標示… |
|
|
|
三郭から空堀を超えて四郭に続く削平地… |
少しけもの道的な場所を通り、下の通路に出た(右の写真)… |
|
|
|
「四の郭」に入ったところに「井戸跡」があった… |
四郭と思われる場所はススキが生い茂っていた… |
|
|
「四の郭」の標示… |
|
四郭から五郭に至る途中の横堀…幅は広いが傾斜は緩やか |
|
|
|
「五の郭」の標示… |
五の郭… |
五の郭の先の通路…奥の標示は「空堀跡」のようだ |
|
|
|
五の郭の周囲に巡らされた巨大空堀と、その外側の土塁… |
|
|
|
五郭から県道に出て、上六地蔵郭と思われるところに来た。県道に面して、「上六地蔵」が…現状では郭というほどの広さは見られない。 |
|
|
こちらは、「下六地蔵」…ここも下六地蔵曲輪のあった場所? |
|
県道を挟んで、「足柄古道」入口に… |
最初に渡った主郭に続く復元木橋の下に来た… |
|
|
足柄古道から北方向に続く県道…この先に虎口がある筈だが? |
|
橋の下(横)にあった説明板(足柄峠) |
「新羅三郎義光吹笙の石」とその説明板…最初に木橋上から見たもの |
|
|
|
足柄城塩石碑があった…ここから階段で主郭に上がれる |
県道を戻って足柄聖天道へ… |
聖天堂入口にあった金太郎像… |
|
|
|
足柄古道を歩いていくと、「源頼光の腰掛け石」と題した案内板が出てきたところで振り返り見る…案内板の説明は殆ど読めず(左下の写真参照) |
足柄山聖天堂… |
|
|
地蔵堂バス停の方へ、足柄古道を歩いていく… |
|
「源頼光の腰掛け石」と読めるが、あとは全く読めず。石らしいものも見当たらず… |
「金太郎の金ぶた石」…何のことか?付近威石もない! |
「足柄古道」入り口とあるが、ここから県道に出た… |
|
|
|
道路の反対側に再び古道入り口の標示が… |
「見晴台」バス停のところに出てきた… |
見晴台のところにあった案内図 |
|
|
|
県道をひたすら歩いて「地蔵堂バス停」に向かう…遠くに矢倉岳が見える |
金太郎伝説の案内板… |
|
|
夕日の滝・地蔵堂方向へ行く… |
|
アクセス:伊豆箱根鉄道大雄山駅から箱根登山バで、「地蔵堂」乗り換え「足柄万葉公園」行きで終点下車すぐ
|
※「足柄城ー神奈川・静岡県県境」ーYouTubeにアップしました。こちらからご覧ください。 |