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新井城 神奈川県三浦市三崎町小網代 2015.7.8 訪問お知らせ


~ 築城主:三浦氏(三浦時高?) 築城年:永享10年(1438年) 主な城主:三浦氏、北条氏 廃城年天正18年(1590) 主な遺構:郭、堀切、土塁 ~
 
三浦一族滅亡の地、新井城は、面積約 128 ha の天嶮をそのまま利用した自然の要害でした。すなわち、相模湾に突出したこの小半島は、小網代湾と、油壷湾にはさまれていて、三方がいずれも海で、しかも切り立った断崖であり、陸地に通ずる路は、北方約3kmの大手の引橋で、この橋を切って落とせばどこからも攻めこまれないようになっていました。引橋は後に地名になりましたが、ここで北条勢は、端をを引かれて渡ることが出来ず、三浦勢に時を稼がれています。現在は、関東大震災による隆起で、往時の面影は薄らいでいますが、当時としては大軍をもってしても攻めがたく、わずかの主兵で3年間持ちこたえたのですから、三浦一族の執念もさることながら、城としても、すぐれた構えであったのでしょう。いずれにしても、室町期の居館としての新井城の居残りは、本丸を中心にめぐらされている空堀に往時をを偲ぶことが出来ます。(三浦市が現地に設置の説明板、「新井城址」より)
京浜急行「三崎口」駅前にあったバス路線案内図…1番乗場から油壷行で終点の油壷まで行く。そこから、油壷マリンパーク(右の写真)の前を通り、先ずは三浦道寸の墓へ行った
 
この駐車場の横を通り三浦道寸の墓へ…
 駐車場横の道を突き当たって、海側に降りていく… 下の地図の「三浦道寸の墓」へ…油壷マリンパークそのものが旧城跡
 
海の方へ降りていくと案内板が左手に…
 「三浦道寸の墓」の説明板…  突き当りを右に曲がると、道寸の墓が見えてくる… 
      
三浦道寸は三浦一族最後の当主となった…日本籠城史でもまれな凄惨な攻防は3年にわたり、永正13年7月11日三浦道寸以下城兵ことごとく決戦に臨み、さしもの三浦氏はその歴史を閉じた(現地の説明板より) 
      
 道寸の墓の横に堀切が残る…  道寸の墓から油壷マリンパークの方に戻り、案内標示を目にした…  本丸は東京大学臨界実験所となっており、通常は入れない…
      
 マリンパークからバス停に向かう途中の東京大学臨海実験所(旧本丸)方向への入り口…虎口にあたる(右の写真は少し歩いて振り返り見たところ 土塁にはさまれた堀底道のように見える 
     
 虎口を入ってすぐ右側に、「東京大学理学部付属臨界実験所寄宿舎」と表示の入り口が見える…
 
 先ほどの、東大寄宿舎へ入る道のすぐ右側に土塁?  こちらは、入ってすぐ左の土塁のような盛土…
     
東大入り口門を離れて、ハイキングコースを土塁に沿って歩く…
 
 東京大学地震研究所油壷地殻変動観測所…いずれも東大構内は立ち入り禁止 空堀跡のように見える?!
       
 
 再び、本丸の土塁に沿って歩く…  ここは、堀切のようにも見えるが…  左側には油壷湾が…
 
荒井浜海水浴場入口にあったマップ…油壷湾を見下ろすところには右の写真の説明板があった。即ち、油壷湾の説明が…三浦一族が滅亡の折、討死や湾への投身などで湾一面が血に染まったとの由来があり、まるで油を流したかのようになったことから「油壷」と言われるようになったとか
荒井浜海岸への道が右に…
 上の写真おマップの前を通り海岸へ行った… 新井城址のある山を見る…
        
 海岸には、いくつかの海の家的な建物がいくつか…
 
カメハメハ王の渚方向を振り返り見る…    海岸方向への車道が… 油壷湾のヨットハーバー…
      
 引橋…説明板を参照 三崎口駅へ戻る途中に、「引橋」交差点が…
    
引橋を見る…左の写真の反対側 
 
 引橋の説明…北条早雲との対決の際、引橋を利用して守りを固めた。つまり、外敵防御の第一線として、谷間に橋をかけて敵が攻めよせたときに橋を引いて防いだ(下の写真の説明より)。右の写真は引橋の下にあると聞いた堀を探した結果、それらしきところを撮った次第(これがそうか不詳)  引橋バス停…ここから三崎口駅行へのバスに乗る
 
交通アクセス:京浜急行線 三崎口駅下車、京急バス「油壷行」で終点の油壷下車すぐ
※「新井城 神奈川県三浦市 ~三浦一族の滅亡の海城~をYouTubeにアップしました。こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください!

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