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明石城 兵庫県明石市明石公園 2017.9.24 訪問お知らせ
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~ 築城主:小笠原忠政(後の忠真) 築城年:元和4年(1618) 主な城主:小笠原氏、本多氏、松平氏、大久保氏 廃城年:明治6年(1873)廃城令公布により廃城)主な遺構:郭、石垣、巽櫓、坤(ひつじさる)櫓、土塁、堀 ~ |
- ~明石城の築城~元和3年(1617)小笠原忠真が信州松本より明石に国替えとなり、現在の明石城より南西約1.0kmほどのところにあった船上(ふなげ)城に入ったことから明石藩が生まれた。現在の明石城は、元和4年(1618)徳川2代将軍秀忠が西国諸藩に対する備えとして、藩主忠真に新城の築城を命じたことにはじまる。秀忠は、姫路城主であった本多忠政の指導を受けるよう命じ、3箇所の築城候補をあげ、現在の地が選ばれた。石垣の普請(現在の土木工事)は元和元年(1619)の正月にはじめられ、工事は町人請負で行われたとされている。本丸、二ノ丸などの城郭中心の石垣、三ノ丸の石垣、土塁及び周辺の堀の普請が同年8月に終わり、幕府より派遣の普請奉行はその任を終え江戸へ帰参している。普請を終え、同年9月から藩主忠真により、櫓、御殿、城門、堀などの作事(現在の建築工事)がはじめられ、その用材は、幕府の一国一城令により廃城となった伏見城及び同国の三木城などの資材を用いて建てたとされている。各建物の建築は、翌元和6年(1620)4月に完了した。築城当初の明石城は、本丸に御殿をを築き、四隅に三重の櫓を配したが、天守台は築かれたものの、天守閣は建てられなかった。
- ~明治維新以降と明石公園の誕生~小笠原氏入封から17代、約250年に渡って存在した明石城は、明治4年(1871)7月の廃藩置県により明石県の県庁となったが、11月には姫路県に統合し飾磨県と改称され、明治6年の廃城令公布により廃城となり、官営地として管理されることとなった。明治9年(1876)には飾磨が廃止され兵庫県が誕生する。同年明石城の各建物は民間に払い下げることになり、明治14年、県は神戸市の相生小学校(現在の湊川小学校)の建築用材として、本丸の艮(うしとら)櫓の解体を行った。これに驚いた旧藩士らが城内の現状保存について、儀願書を提出、城址公園として保存活用する公園開設願を県に提出し、明治16年(1833)国より公園開設の許可が下りた。明治31年(1898)10月に城跡全体が御料地に編入され宮内省の管轄となり、明治34年(1901)には同省京都事務所により巽櫓と坤(ひつじさる)の修理と乾櫓の取り壊しが行われた。大正7年(1918)4月、御料地の利用計画が立ち消えとなったため、兵庫県が本丸付近の10haを譲り受け、県立明石公園が誕生した。その後昭和4年(1929)に御料地全域の払い下げを受け、昭和7年(1932)3月にほぼ現在の明石公園の姿に拡張されている。
- 現地に設置の案内板「明石城の歴史」より。
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右の図面の、正面入り口を入る…内枡形虎口となっている。大手門にあたる… |
現在地との標示の場所にあった案内板より…JR明石駅から北方向に進み、正面入り口から入り、朱色で記したルートで天守台→坤櫓→巽櫓→二ノ丸・東ノ丸→薬研堀→市立文化博物館→御茶屋ノルートで正面入り口に戻った。 |
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正面入り口を入り、振り返り虎口を見る…後に見えるビルは明石商工会議所 |
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坤櫓の横(西)の通路を上がり、明石トーカロ球場を見下ろす石垣の上から、東側の坤櫓を見る… |
坤櫓を真下から見上げる… |
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すぐ上の写真の横の階段を上がり、左の写真の場所に行く… |
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上の写真の、石垣上に来た…建物があったのか礎石的な石が見えるが、説明版もないので実態は不明 |
坤櫓のちょうど対面の位置にあたる場所の虎口(?)…ここに乾櫓があったと思われる(古絵図などによると四隅に櫓があったが、乾櫓と艮櫓(うしとらやぐら)は現存していない) |
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上の写真の左側の櫓台?に上がる階段… |
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本丸への通路の、虎口・門跡?…この先に本丸広場~天守台~坤櫓などが |
この横に天守台が… |
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坤櫓が一般公開中…(土日祝日のみ)奇数月はこちらの櫓で、偶数月は巽櫓が公開される |
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天守台全景… |
天守台への入り口…左の写真のように整備され、木柵で囲まれていた |
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坤櫓のすぐ北側にある天守台へ上がる階段… |
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これも天守台から見る坤櫓… |
坤櫓入口…一般公開中 |
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坤櫓内部…2階に上がる階段に展示されている。坤・巽櫓の石垣修理に際し、ひきやで櫓を移動して修理した由 |
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艮櫓跡…本丸の北東隅で三重櫓があったとか |
巽櫓を真近に見る… |
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「坤櫓」内部…2階に上がる階段に展示されていた。巽・坤 領櫓の石垣修理に際し、曳家で櫓を移動して石垣を修理した |
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下の段の「ひぐらし池」・日時計方面への通路、門跡… |
本丸の東側、二ノ丸・東ノ丸に続く門跡… |
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二の丸への通路… |
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東ノ丸から市立図書館方面へ降りていくところの門跡… |
東ノ丸入口への通路…この手前に薬研堀が |
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東ノ丸はよく整備されている… |
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薬研堀…左側に石垣が見える |
当時「箱掘」があったが現状は改変されている |
旧箱掘りと東ノ丸の石垣の間の通路を通り下の段のひぐらし池方面に降りる… |
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「松平直明公遺愛お茶の水」…直明公は在城中この水でお茶をたてたとか |
二ノ丸へ上がる階段… |
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この井戸は城内で最も水の出る井戸として昔から親しまれていた由… |
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明石城武蔵の庭園から両櫓を松の木越しに見る… |
少し、陽がさしてきたので改めて巽櫓… |
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こちらは坤櫓… |
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アクセス:JR・山陽電車「明石駅」より徒歩約5分
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