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萩城 山口県萩市  2015.5.12-13 訪問
お知らせ


~ 築城者 毛利輝元 築城年 慶長9年(1604年) 主な城主 毛利氏  廃城年 明治7年(1874年) 遺構 長屋、石垣、堀 指定文化財 国の史跡 国の重要文化財(厚狭毛利家長屋) 再建造物 北の総門・土塀・土橋   日本100名城 別名 指月城  ~
関ケ原の合戦の敗戦で、西軍の総大将であった毛利輝元は、長門・周防2国に移封されました。輝元は1604年(慶長9年)日本海に面した長門国の萩に築城を開始し、阿武川河口の三角州を整地しました。萩城は標高143mの指月山の山麓には本丸が築かれたことから指月城とも呼ばれます。城郭の構造は指月山麓の平城の部分と山頂の山城の部分を合わせた平山城の形式で、山麓には本丸・二の丸・三の丸を備えていました。本丸は東西百十間、南北八十間、その南北には内堀を堀りめぐらし、高さ六間の石垣を築いて五層の天守閣がそびえ、内部には藩主の居館や政庁などが立ち並んでいました。内堀に接してその外に二の丸があり、更に中堀を挟んで広大な三の丸が城下町と外堀を隔ててつくられていました。城跡(国史跡)は指月公園となり、壮大な本丸の石垣や天守閣跡が往時を偲ばせます。(本丸にあった説明板より抜粋)
 東門への土橋…  枡形状になっている虎口… 
 東門から内堀を右に見て少し歩いて「極楽橋」が見えてきた… 極楽橋上…奥が枡形虎口か
極楽橋上から左を見ると立派な石垣…遠くに天守台が見える
極楽橋から本丸内門を通り左折して内堀に面した石垣を見る…階段を上がり石垣の上に上った(下の写真) 極楽橋からの撮影だが少しアングルが違う…
     
 
入ってきた本丸内門を振り返る…松の木の右側が極楽橋。出口との標示が見える。 石段上から虎口を見下ろす…
     
石垣上…指月山が後ろに見える
 
   
  本丸内部で内堀に面した石垣の内側(階段状)…2日目の快晴時の撮影であり、上の写真撮影時は第1日目でくもり空だった。   天守台への階段…
   
 天守台上部…礎石が見える
 
   
     
天守台の西方より撮影…天守台が見える   岡崎櫓跡の標示…  左、洞春寺跡・妙玖寺跡の道標 
     
  西側にどんどん行くと石垣が… 途中の通路(北側)に残る石垣…  西の浜に来た… 
     
  花江茶亭…もと藩主毛利敬親の別邸にあった茶室を明治20年頃移築したもの。幕末の頃敬親が茶事にことよせて家臣とともに国事の密事を凝らした場所で有名。この場所は藩主居館の奥書院にあたり、庭石、池、築山は当時のまま。(現地案内板より)  
     
 万歳(ばんせい)橋…藩校明倫館孔子廟の池にかかっていたものを移転したもの。中国風のデザインを施した太鼓橋。真ん中の写真が説明板。  
     
   志都岐山(しずきやま)神社…明治12年有志が山口にある豊栄、野田両神社の分社として建てたもの。主神は毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳の5本柱。配祀されているのは初代から12代までの萩藩主(現地案内板より)
     
二の丸東側の石垣方向へ歩く…  北東側の石垣と遠くに海(日本海)が見える…  海側に面して空いた通路跡?…海側から内側(二の丸側)を見る 
     
  華櫓跡の標示… 紙櫓跡の標示…   潮入門に続く筑地塀と階段状石垣… 
     
 筑地塀…狭間が見える  銃眼土塀(二の丸土塀)…土塀の端に潮入門が見える… 
   
 銃眼土塀を下から見上げる…
 
  二の丸土塀(銃眼土塀)の説明板… 潮入門跡の説明(左)と潮入門(右の写真)… 
     
 南門跡に戻ってきた…ここも枡形城だ 
     
指月城址の石碑…後方に毛利輝元像 
 
  毛利輝元像…  南門…枡形虎口  南門の石垣…
     
萩城は、山の名をとって指月城とも呼ばれ、ふもとの平城に合わせ山頂に詰丸を設け、せまいながら本丸・二の丸を置いて陸と海とを監視するため。矢倉数個所・天水治二箇所などをもつ望楼であった。昭和41年度に山口県の補助を受け、市民の憩いの場として整備され、登山道約730m、所要時間20分で詰丸跡に達します。(登山口にあった萩市教育委員会が設置の案内板より)  
 萩城要害跡…指月山の山頂(標高143m)は、要害または詰め丸と呼ばれ、戦時には籠城するための、まさに最後の砦であった。要害は周囲を石垣と土塀でとり囲み、要所には櫓を配置していた。平時には眺望の利く大小様々な櫓から陸地と会場を監視した。櫓内には緊急時に備え、武器類も配備されていたようである。(山頂にあった案内板より抜粋)  
     
 昭和41年に市民の憩いの場として整備されており、非常に歩きやすい…  
     
 もうすぐ山頂… 二の丸に通じる矢倉門…  筑地塀との間を通り…
     
 萩城詰丸の跡の標示柱が見える… 西門・西門矢倉跡を見下ろす… 
     
 筑地塀だが落書きがひどい…
 
 矢倉門から二の丸に入る…  二の丸全景… 
     
本丸内の石切り場…
 
 石切り場の大きい石…矢穴が見える 本丸の東側の埋門のところか… 
     
石切り場の横の貯水池との標示があるところ…
 
 本丸東側の眺望が開けているところ…萩城下町と橋本川が見える  雑草が鬱蒼としていたが比較的よく整備されている…
     
矢倉台跡(辰巳矢倉?)…
 
  山頂部にあった案内板から縄張り図…
  
北の総門:北の総門は三の丸(堀内)の入り口である総門の一つです。総門は北、那珂、平安古の3か所があり、合わせて「大手三つの門」  と呼ばれた。出入りするものを監視し、夜は門を閉じて鑑札ををもった者しか通れなかった。元文年間(1739~40)の絵図によると北・中の総門の前に、新たに枡形と南北の船着き場が描かれている。
 北の総門…平成16年に復元された。日本最大級の高麗門。城下から三の丸への城門、枡形虎口になっている。  総門の両側の土塁(復元)… 土橋・土塀を遠くから見る…左側が総門 
     
北の総門の説明板…  総門から内部に入って、内側から門を見る…  菊ヶ浜海水浴場から指月山を見る… 
     
交通アクセス:JR西日本山陰本線玉江駅から徒歩約20分。萩城下散策と併せてレンタサイクル利用をお勧めする。

※「萩城1ー平城部分」ーYouTubeにアップしました。こちらからご覧ください。
「萩城2 詰丸編」はこちら からジャンプしてください。
以下のホームページもご覧ください!
萩城城下町1…武家屋敷街を中心に
萩城城下町2…松陰神社周辺を歩く

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