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富山城 富山県富山市本丸 2014.11.22 訪問 |
~ 築城者 神保長職(ながもと) 築城年 天文12年(1543) 主な城主 佐々成政、前田利次 廃城年 明治4年(1871年) 遺構 石垣、堀 再建造物 模擬天守 ~ |
- 【富山城物語】
- <中世> 天文12年(1543)、神保長職(ながもと)によって築かれた富山城。そして、富山城をめぐり繰りひろげられる一向一揆勢や、上杉謙信、武田信玄ら戦国武将たちの攻防。織田信長の家臣として入城した佐々成政。天文13年(1585)、豊臣秀吉の討伐を受け、破却された富山城。中世の富山城は、築城以来、様々な勢力の争奪の場所でした。<近世> 近世富山城を整備した前田利長。大火で焼失したのち、元和元年(1615)の一国一城令により一旦廃城。寛永16年(1639)の富山藩分藩に伴い、初代藩主前田利次が入城。その後、明治時代に至るまで、富山前田家13代の居城となった富山城。江戸時代後期に築造された千歳御殿。近世の富山城は、藩政の中心として整備が進められました。(富山市郷土博物館(模擬天守)のパンフより、抜粋・編集)
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JR富山駅から南に約10分で、城址公園。途中、松川を渡る橋上から川面を見る… |
公園内に入るときれいな庭が… |
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本丸を隔てた旧二の丸にあった案内板の地図…現在は本丸部分のみ |
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城址公園内に入り、復元天守方向へ |
南側大手口、鉄御門を入って左に曲がる枡形虎口…左に入ってすぐ左に多聞櫓が(右の写真の左石垣の上) |
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多聞櫓に上がる石垣…前の写真の石段と、2方向へ上がる階段 |
鉄御門・枡形虎口の内部から南側(二の丸側)を見る… |
この突き当りを右に曲がると鉄御門、堀・二の丸へ… |
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前の写真の石垣の、大きい石の部分を拡大… |
城址公園に入り、鉄御門方向へ行く途中の、二の丸との間の堀に面した櫓台か(南西隅櫓?) |
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枡形虎口内部の石垣…勿論近代のものだが、それなりの味はある |
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本丸大手枡形・鉄御門を二の丸側から見る… |
旧二の丸に渡り本丸・模擬天守を見る… |
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旧二の丸から水堀越しに模擬天守(富山市郷土博物館)を見る… |
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旧二の丸から、東側の道路に出る…ここをまっすぐ北に行くと富山駅 |
千歳御門…総欅造り。嘉永2年(1849年)、千歳御殿の正門として建てられた富山城唯一の現存建築遺構 |
天守望楼の遠望… |
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千歳御門を内部から見る。この千歳御門は創建当時のものではなく安政2年(1855)の大火で焼失後の再築との説もある。明治の初めに門が解体された際、富山市の豪農に払い下げられ移築されたが、所有者が富山市に寄贈し、平成18年から平成20年にかけて現在の場所に移築された。 |
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千歳門を入って、模擬天守を見上げる…富山市郷土博物館になっている |
櫓礎石… |
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発掘で出てきた石を、ここのコーナーにまとめて展示している… |
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何の説明もないが、これらも出土した石であろう… |
石がならべてある場所から天守を見る… |
二階櫓門礎石… |
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改めて、二の丸側から鉄門・天守を見る… |
旧二の丸部分の公園(入口)に城址公園の標示が… |
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富山駅あmで歩いて帰る途中、松川に架かる橋の上から右側を見る… |
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アクセス:JR北陸本線 富山駅から、徒歩約10分ぐらい。
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※「富山城ー富山前田家13代の居城」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。 |