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全国城めぐりのページ

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仙台城 宮城県仙台市青葉区 2012.12.27 訪問お知らせ

 〜 築城者 伊達正宗 築城年 1601年 主な城主 伊達氏 廃城年 1871年 遺構 石垣、土塁、堀 指定文化財 国の史跡 再建造物 脇櫓 日本100名城(8番)〜
 現在の仙台市青葉区の青葉山にあることから青葉城との別名もある。青葉山には、伊達氏以前から城があり、初めは千体城、後に千代城と称し、鎌倉時代末期から室町時代中期にかけて島津氏が陸奥守として居城し、室町時代末期には国分荘の国人の国分氏が居城したとも伝えられている。伊達正宗の叔父でもある城主国分盛重が政宗と対立して出奔すると、千代城は廃城となった。政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。1601年1月28日に青葉城に登って縄張りを始め、地名を仙台と改めた。彼が築いた仙台城は本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが天守は持たなかったが、同時代に、比類ない堅城となった。しかし世が泰平となると山上と麓の往来は不便であったため、伊達政宗1637年に二の丸造営に着手し、翌年完成させた。これと前後して大手門脇、青葉山の麓に三の丸が作られた。これ以降平山城となった。1871年に東北鎮台が仙台城を本営として駐屯した。この時、本丸が破壊され、石と木が兵舎建設に流用された。戦後、第二師団の跡地にアメリカ陸軍が進駐し、三の丸巽門が破却されたことにより仙台城跡にあった現存する江戸期の建築遺構はすべて失われた。(資料 ウィキペディアより抜粋・編集)
     
  本丸北壁の説明版  石垣改修工事の模様
   
  
 
     
     
仙台城 俯瞰図   
     
伊達正宗騎馬像 
 
アクセス
JR東北本線・東北新幹線仙台駅下車:
西口バスプール9番で約25分、「仙台城跡南」下車徒歩約5分
西口バスプール15番より仙台市営バスで約20分 、「仙台城跡」下車、徒歩約3分                
               
 

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