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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

松本城 長野県松本市丸の内 2012.4.24 訪問お知らせ


 ~ 築城者 小笠原長棟、石川数正・康長 築城年 1504年 主な城主 小笠原氏、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏 廃城年 1871年 遺構 現存天守、石垣、土塁、堀、二の丸土蔵 指定文化財 国宝(天守)、国の史跡 再建造物 黒門、太鼓門 日本100名城(29番) ~
戦国時代の永正時代初めに造られた深志城が始まり。戦国時代に信濃の守護小笠原氏が館を東の山麓の林地区に移すと、その家臣らは林城を取り囲むように支城を構えて守りを固めた。深志城もこの頃林城の前面を固めるために造られた。その後、武田信玄が、小笠原長時を追いこの地を占領し信濃支配の拠点とした。その後、天正10年(1582)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の機に乗じて深志城を回復し、松本城と名前を改めた。
豊臣秀吉が天正18年(1590)に北条を下し天下を統一すると、徳川家康を関東に移封した。この時、松本城主小笠原秀政が家康に従って下総に移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じた。石川数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、康長の時代には天守はじめ御殿・太鼓門・黒門・櫓・堀などを造り、本丸・二の丸を固め、三の丸に武士を集め、また城下町の整備をすすめ、近世城郭としての松本城の基礎を固めた。天守の築造年代は、1593~94と考えられている。(入城時のパンフ「四〇〇年余の風雪に耐えて…国宝 松本城」より抜粋編集。)
 天守(高さ29.4m) 内堀越しに天守を見る 
   
 
 
 
 遠くアルプスの
山々にはまだ雪が
乾小天守     
   
城内への入口階段 
        
 
 
   
天守閣は外からは5重に見えるが内部は6階
(ここは窓のない暗い部屋)
石落し
       
     
  最上階への階段   最上階より庭を臨む  
       
鯱瓦    月見櫓内部  
       
下のほうに矢狭間・
鉄砲挟間
黒門(本丸に入る正門)
櫓門と枡形からなる 
   
       
       
         
 
 
       
アクセス:JR篠ノ井線・大糸線、アルピコ交通上高地線 松本駅から徒歩20分
 
   

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