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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 
 石垣山城 神奈川県小田原市早川  2012.12.8 訪問  2nd 2015.9.23 訪問
 〜 築城者 豊臣秀吉 築城年 天正18年(1590)主な城主 豊臣秀吉 廃城年 天正18年(1590)遺構 郭、土塁、空堀、石垣 指定文化財 国の史跡 〜
 史跡石垣山は、JR早川駅の西方約2.5km、国道1号線から東へ約1kmのところにあります。また、小田原城まで僅か3kmのところにあり、標高257mの本丸からは小田原城や城下の様子が一望できます。石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲したとき、その本営として総石垣の城を築いてから石垣山と呼ばれるようになりました。この城を秀吉が一夜にして築いたように見せかけたという伝承から、石垣山一夜城とか太閤一夜城などとも言われています。秀吉は、この城に滞在していた100日余りの間に天皇の勅使を迎えたり、千利休や能役者、猿楽師等を呼び寄せました。また自ら淀君などの側室も呼び、参陣の諸大名にもこれにならうよう勧めたと言われています。この城は単に小田原攻めの本営であるというだけでなく、太閤秀吉の威信を示すと共に、長期戦に備えた本格的な城構えであったといえます。この城は関東で最初につくられた石垣の城です。石積みは秀吉が連れてきた近江の穴太衆による野面積と言われるもので、小田原藩の管理下に置かれていた江戸時代にも、度重なる大地震に耐え、今日まで当時の面影を大変よく残している貴重な城跡です。この石垣山は、土地所有者の松岡氏を始め地元関係者のご厚意により昭和62年度に公有地化することができ、現在歴史公園として一般に公開しています。(小田原市が現地に設置の案内板「国指定史跡」石垣山一夜城より)
JR早川駅前にあった案内図…石垣山歴史公園までの距離は2,350m。歩くと40−50分掛かる。タクシーだと約10分で約1,000円。タクシーがおススメ!
     
 
 石垣山歴史公園の入り口…  下の地図の南曲輪〜二の丸〜井戸曲輪〜本丸〜天守台のルートで回った… 
     
早川石丁場群は左に750m…
 
 江戸時代初めに江戸城の修築で使用の石材をここの石丁場群より出荷していたとの説明(左の写真)…石には刻印が残っている(右端の写真) 
     
 先の石垣山城入り口部分から左(南)に少し行ったところの石垣群…かなり乱れていて危険な場所も散見される。 
     
このような「危険」との標示が…
 
 二の丸方向へ登っていく…左側に野面積の崩れ気味bの石垣群が…  
     
 
 二の丸(馬屋曲輪)…  二の丸の櫓台…  井戸曲輪への道標…
     
 井戸曲輪跡…現在では、井戸跡に近づけなかった(立ち入り禁止)…   井戸曲輪へ降りる石段の通路…
     
 井戸曲輪の見事な石垣…
 
 中央の井戸部分を望遠で…  これは以前に撮影の井戸曲輪の中央部…当時(2012.12)はこのように井戸端まで近づけた。 
    
 井戸曲輪に残っている巨石…
 
 二の丸跡の標示石碑… この上が本丸…  本丸登り口の標示…
     
 二の丸から本丸に上がる北門跡は、外枡形と内桝形を組み合わせた厳重な虎口となっているとか… 右天守台、左物見台との標示石柱…  本丸跡の標示石柱…
     
 天守台跡…  本丸全景…右側が小田原城方向 
     
 石垣山一夜城の構造…説明板
 
 天守台跡から右奥方向(小田原城方向)を見る…  展望台になっていて、小田原市街・小田原城を俯瞰できる… 
     
 史跡石垣山の石碑
 
展望台に設置されていた説明図…小田原城攻囲図 展望台から小田原城を望遠レンズで捕らえた…
    
北門の基台跡…
大堀切跡…南曲輪から西曲輪へ続く大石垣が続く。 南曲輪下の石垣…
西曲輪下の石垣…
 江戸城修復のために切り出された「早川石丁場」の石材…矢穴の跡が残っている(右上の写真)
      
「移設された石垣用石材」の説明板
 
アクセス:JR東海道本線「早川」下車徒歩60分。或はタクシーで約10分、約1,000円。
 
 

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