よしおば30

Welcome to New Yoshioba30's Homepage

全国城めぐりネット

 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

大和郡山城 奈良県大和郡山市 2017.9.26 訪問お知らせ

  ~ 築城主:筒井順慶 築城年:天正8年(1580) 主な城主:筒井順慶、豊臣秀長、増田長盛、水野勝成、松平氏、本多氏 柳沢氏 廃城年:明治維新時(1868)主な遺構:郭、石垣、堀 続日本100名城 ~
郡山城は、天正6~7年(1578~1579)に筒井順慶が縄張りをおこない、同8年の一国一城令に基づき拡張、同11年には天守閣も完成をみた。同13年、豊臣秀長が入部してさらに拡張され、文禄5年(1596)には増田長盛による秋篠川の付け替えが行われ、外堀を一周させ、城下町の完成をみるに至った。関ケ原戦後、長盛が改易され、大阪夏の陣以降、水野勝成が、さらに松平、本多が入城し、享保9年(1724)以降、幕末まで、柳澤15万石の居城として栄えた。
現在のこる縄張りは、秀長時代のもので、左京堀、鰻掘、鷺堀で囲まれた本丸、二の丸、三の丸などが城内で、それ以外の外堀に囲まれた地域が城下となる。なお、史跡として指定されているのは、本丸、毘沙門郭、法印郭、玄武郭、陣甫郭及びその】内堀である。
追手門櫓手前にあった、奈良県教育委員会が設置の案内板「県指定史跡 郡山城跡」より。
近鉄郡山駅が最寄り(徒歩約10分)だが、城跡に行くのに、一旦踏切を渡り東側に行き、暫し歩いてから再び踏切を越えて西側の城跡へ…左上の写真は線路の東側の「三の丸緑地」、右の写真の「鉄御門跡」から入った。 
     
 鉄御門跡へ続く近鉄踏切…近鉄線が城跡を分断している
 
 踏切渡り右側の堀を見る…  「鉄御門跡」の標示柱…  左「天守台」、右「追手門」…右側の通路の横が水堀
     
朱色の丸で囲んだ郡山城の中心部から、永慶寺~大納言塚、そして近鉄郡山駅に戻り、線路を越えて南側へ。そして郡山八幡宮及び「郡山城外堀・柳町大門跡」の石柱のある所に北。  柳澤文庫、柳澤神社、追手門、天守台への道標…
 上の写真の右方向への通路から毘沙門郭方向ぼ水堀・石垣を見る…
 
追手門方向へ歩く…  左手前が追手門櫓、右に追手門が見える…間に多聞櫓
     
 追手門と追手門櫓をつなぐ多聞櫓の上部を見る…
 
 追手門を内側から見る…  追手門越しに多聞櫓・追手門櫓を見る…
     
 追手門を入り城址会館方向を見る…
 
 「久護門址」の石柱標示… 「久護門址」辺りから、天守台を見る…
     
 奥が追手門で、手前が久護門址方向…
 
 追手門を、常盤郭の石垣上から追手門を見下ろす… 城址会館…旧奈良県立図書館。明治41年、日露戦争の戦勝を記念して奈良公園内に建てられた奈良県最初の県立図書館。昭和43年に本館のみがこの地に移設された。
     
 東側の土塁の残存部分の場所に来た…
 
「馬場崎門址」の石柱…郡山高校城内学舎寄りのところ 東側の通路から、天守台方向を見る…南側に城址会館が見える。この辺の堀は水が無いようだ 
    
 「五拾間馬場 ➡」の石柱…後方は郡山高校のグランドか
 
堀の北西側から天守台を見る…この辺は堀底に水が見られる(右の写真はやや西寄の場所からの撮影) 
     
「仕切堀」の石柱…手前側が郡山高校冠山学舎の前の道路。左の先には中仕切り門址
 郡山高校横の道路から、水堀・石垣を見る…  郡山高校の土塀前に「裏門址」の石柱…この学校跡は二の丸跡になる(右の写真は奈良県立郡山高等学校の正門)
     
柳澤神社の正面入り口…後方が郡山高校正門 竹林橋を進むと、竹林門櫓址が…
     
 上の写真に続く、城内への土橋、「竹林橋」…この先に、竹林門櫓址が。
 
 「続日本100名城」に選定…早々と石碑が設置されている。  天守郭の西側の堀を見る…後方に見えるのは郡山高校冠山学舎  竹林門櫓(及びその石柱)を反対側の櫓台跡から見る…すぐ上の写真参照
     
天守台…西側の石垣を見る。この辺は野面積みっぽいですね! 竹林門からまっすぐ進むと、柳澤神社に…
   
神社の本殿…この裏に天守台が
 
天守台の東側に「逆さ地蔵」への案内表示が…  「天守台」に上がり、東側を見る…高石垣・水堀越しに城址会館が見える 
     
 「逆さ地蔵」の位置を示す?
 
 「天守への道 ~謎多き付櫓台の実態」…説明によれば、現在の天守台にある階段は明治時代につけられたもので、ありし日にどのように天守に入ったのか実態は不明であった。平成26年の発掘調査の結果、付櫓地階の石垣や礎石が見つかった。右端の写真の説明では、発掘で明らかになった「幻の天守」はようやくその実在が確認されたとか
     
月見櫓址の石柱…右の写真が全景、意外と狭い   
     
月見櫓址から東側の堀を見下ろす…
 
 月見櫓址から天守台方向を見る… 月見櫓跡のすぐ左(北)に「埋門址」… 「御厩向櫓址」の石柱…柳澤神社と天守台の中間ぐらいの位置 
     
「坤櫓址」の石柱…神社のすぐ横の土塁上。  左の写真の部分から、土塁(石垣)上を再度、竹林門方向へ歩く… 後方に見えるのは、郡山高校の校舎か… 
     
 郡山高校の土塀・校門の前に「表門址」の石柱が…   「竹林門址」の標示柱…再びこの門址から出て郡山高校の前へ
     
 左の写真の場所を、少し離れて撮影…
 
 表門址の場所から、高校の土塀に沿って西方向に進むと、松陰門址に来た。下の写真のところから右の写真に続く…
     
 「松陰門址」の標示柱が…
 
柳澤家菩提寺「永慶寺」…「松陰門址」のところから、西公園~南御門跡を経て、鰻掘池と鷺池の間の橋を通り、南方に行くと「永慶寺」が。この山門は、豊臣秀長時代に郡山城の南御門として建築され、当時の郡山城の遺構として、大和郡山市に残る唯一の建造物。幕末に永慶寺山門として移築されたと言われている(説明版より) 
     
 柳澤家一族の墓所の一部…
 
 市指定文化財(史跡)大納言塚…天正19年(1591)大和大納言豊臣秀長が、郡山に没するとこの地に葬られた(左下の写真説明より)。 
     
 五輪塔…塔表面には秀長の法明が刻まれている。
 
 近鉄郡山駅の踏切を越えて、南方向へ行き、郡山八幡神社(真ん中の写真)及び、右端の写真の「郡山城外堀・柳町大門跡」の場所に…
     
アクセス:近鉄郡山駅から徒歩約10分
※ You Tubeに「大和郡山城 奈良県大和郡山市」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください! 

ギャラリー