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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

山中城  静岡県三島市山中新田 1st 2013.5.14  2nd 2015.9.23 訪問お知らせ

 〜 築城者 北条氏康 築城年 永禄年間(1558年〜1570年) 主な城主 松田氏 廃城年 1590年(天正18年) 遺構 曲輪、堀、土塁 国の史跡 日本100名城(40番)〜
 史跡山中城は、小田原に本城を置いた北条氏が、永禄年間(1560年代)小田原防備のために創築したものである。やがて天正17年(1589年)豊臣秀吉の小田原征伐に備え、急ぎ二の丸や出丸等の増築が始まり翌年3月、豊臣軍に包囲され、約17倍の人数にわずか半日で落城したと伝えられる悲劇の山城である。この時の北条方の守将松田康長・副将間宮康俊の墓は今も三の丸跡の相閑寺境内に苔むしている。三島市では、史跡山中城の公園化を企画し、昭和48年度よりすべての曲輪の全面発掘にふみきり、その学術資料に基づいて、環境整備に着手した。その結果、戦国末期の北城流の築城法が次第に解明され、山城の規模・構造が明らかになった。特に堀や土塁の構築法、尾根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置、曲輪相互間の連絡道等の自然の地形を巧みに取り入れた縄張りの妙味と、空堀・水堀・用水池・井戸等、山城の宿命である飲料水の確保に意を注いだことや、石を使わない山城の最後の姿をとどめている点等、学術的にも貴重な資料を提供している。(文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会が平成11年3月に現地に設置の案内板「国指定史跡山中城跡」より)
三島駅前に設置の案内図…山中城址の位置をまず確認! 三島駅南口…5番バス乗り場より元箱根港行き東海バスで約30分
     
 山中城跡のバス停…1時間に1本程度しかないので事前に要チェック
 
 山中城址バス停の側にあった… 山名城跡の案内図…略、赤字で表記のルートにて回った!約2時間のコース。
     
 国道1号線を挟み反対側の岱崎(だいざき)出丸へ先ず行く…
 
 御馬場跡方向へ行く… 御馬場跡…土塁で東側と北側を守り、西側は深い空堀に続く岱崎出丸最大の曲輪(右の写真の説明より) 
     
 出丸御馬場堀の西側端からの眺望…子供たちが遊んでいた 出丸御馬場堀の説明…
     
出丸御馬場堀… 
 
東側の小道をすり鉢曲輪方向へ…  すり鉢曲輪上から西側の障子掘りを見下ろす…
     
 すり鉢曲輪手前の曲輪…
 
 岱崎出丸一の堀の説明板… 上の写真の場所から遠く、富士山方向を見る…  
     
障子掘り部分拡大…やや崩れている
 
 すり鉢曲輪に降りる…  すり鉢曲輪見張り台から手前の広場で遊ぶ子供たちを見下ろす…
     
 岱崎出丸の説明板… 左 武者溜跡、右すり鉢曲輪野標識…  武者溜跡…
     
 尾根を削り成形して、ここに曲輪を構築すべく工事を急いだが間に合わなったのでは、との説明板があった…  御馬場北堀の説明板…
     
 御馬場北堀…
 
北側に進むと、最初に横切った旧東海道の石畳が。この反対側の、南櫓・三の丸堀の方へ行く… 
     
 国道1号線で向い側が当初バスを降りた場所…「山中城跡」の標示柱を経て、先ずは三の丸堀へ行く
     
 三の丸堀…右上の写真の説明にあるように自然の谷を利用して中央に畝を設けた二重堀としている。
     
 一寸分かりにくいが、中央に畝があるようだ…
 
 田尻の池の説明板…    田尻の池  西ノ丸跡方向へ行く…
 
 西ノ丸南側の畝掘・障子掘り…
   
 西ノ丸畝掘りの説明板…
 
 西ノ丸跡へ…元西櫓跡はあとで 広大な面積を持つ曲輪…奥に見えるのは見張り台 
     
 この上に西ノ丸…
 
 西ノ丸から富士山を臨む…   土塁の切れ目…虎口の名残?
     
西ノ丸の北側土塁…内側は低い
 
自然の谷をうまく利用している…   西ノ丸ノ発掘調査では建物跡は発見されなかった由
…右の写真は物見台へのスロープ
     
 西ノ丸見張り台…盛土で築造  見張り台から見る西ノ丸周囲の見事な障子掘り…整備されすぎている?!
     
 西ノ丸全景… 西ノ丸見張り台から西櫓跡を見る…右手にも障子掘りが  
     
 西ノ丸見張り台下の障子掘り…
 
 西櫓跡の手前で富士山を障子掘り越しに見る… 
     
障子掘り…被覆して芝生を張り保存されている。従い、浅いし上部の幅も狭いようだ…
 
 障子掘りの説明板…  梯子が掛けてあった。ここは結構深い…メンテ作業中? 
     
 西櫓台全景…
 
 西櫓台へ上がる通路… 掘立柱建物跡の標示…床面と思われる範囲を標示している  西ノ丸から障子掘りを超えて突き出た部分にあったとされる角馬出の説明…
     
 西櫓台から北側尾見下ろす…富士山が後方に見える位置  西木戸口左方向…西櫓〜西ノ丸ノ南側には帯曲輪跡も確認されている 西櫓堀の説明板…
     
 右の写真の城址碑のあった場所から北西側を見る…
富士山と三島市街地(左側)を見る
 
史跡 山中城址の石碑… 
     
 三島市眺望地点…左端に駿河湾
 
 西櫓堀に欠けられていたと推測される架橋の説明板…  西櫓周囲の障子掘りは見事!…よく整備され(すぎ)ている
     
西櫓から西ノ丸周囲の障子掘り…
     
 本丸跡方向へ(元西櫓経由)…
 
 この階段を上がると元西櫓…  溜池の跡…山城の生命は水の確保であると言われており、大変な努力で溜息(貯水池)を作っ田とのこと(右の写真の説明参照)
     
 元西櫓から二ノ丸方向へ…二之丸への架橋。この下も障子掘り  元西櫓…比較的小さい曲輪
     
 
二の丸虎口…左上が二ノ丸櫓台   二ノ丸櫓台より架橋及びその下の堀を見る… 
     
障子掘りの様子が見える…
 
 本丸堀の横の櫓台… 二ノ丸全景…奥に二ノ丸櫓台と架橋…  本丸堀と櫓台の説明板…
     
 本丸堀…奥に北の丸への橋が見える  櫓台から本丸への架橋を見る… 二ノ丸〜本丸への架橋…
     
 本丸への架橋が見える…彼岸花がところどころに咲いていた 本丸跡の説明板…
     
 本丸跡の藤棚…
 
 本丸周囲の堅固な土塁…  北の丸へ先ず向かう… 北の丸への木橋…
     
 架橋の説明… 北の丸への木橋上から堀を見る… 
     
 北の丸・本丸間の空堀を左に見て…この右側辺りが帯曲輪だったと推測  架橋を北の丸側から見る…左上が天守台跡 
     
 堀底の状況…
 
 本丸堀の説明板… 本丸堀… 北の丸堀…下の写真の説明参照
     
 奥に天守台が見えますね…北の丸側から架橋越しに  北の丸堀の説明板…
     
 北の丸全景…結構広い!
 
天守台…説明は左の写真。天守台の写真はうまく撮れず!   兵糧庫とか弾薬庫と言われていた場所…次の写真の説明参照 
     
 兵糧庫跡の説明板…  諏訪・駒形神社…山中城の本丸に守護神として祀られた  諏訪神社を経てすぐ、1号線に面した登城口。山中バス停に近い…
     
アクセス:JR/伊豆箱根鉄道三島駅から元箱根方面行東海バス(約30分)
              
 ※You Tubeに「山中城ー静岡県三島市」を投稿しています。こちらからご覧いただけます。

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