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年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

山口城 埼玉県所沢市山口 2015.1.26 訪問

〜 築城者 山口氏 築城年 平安時代末期〜鎌倉・室町時代 主な城主 山口氏 廃城年 戦国時代(1590頃)? 遺構 土塁 埼玉県指定旧跡 〜 
 山口城は、平安時代末から鎌倉・室町時代にこの一帯を本拠とした武蔵武士の山口氏によって築かれました。この場所の西方に椿峰の丘陵が迫り、南は柳瀬川と、湿地に囲まれた要害の地で、西側には鎌倉街道が通っていました。城跡の規模は、東西約400m、南北約200mと推定され、埼玉県の旧跡に指定されています。築かれたころの大きさは不明ですが、戦乱の時代に館を囲む土塁(土手)や堀は徐々に広げられました。室町時代の終わりには、複数の郭がつながった姿となりました。この城跡には石垣がなく、土塁の上に木や竹の柵を造り、幅が広く深い堀をめぐらせて敵が入るのを防いでいました。戦国時代の戦乱によって落城し、江戸時代に入ると城跡は畑や宅地として拓かれ、堀跡は溜池に利用されました。その後、道路や鉄道が開通し、元の姿は一部を除いて失われました。現在、周辺には「堀の内」、「城上」、「梨の木戸」といった城跡に関係する地名が残されています。(所沢市教育委員会が現地に設置の案内板より抜粋)
西武狭山線の下山口駅…  駅を出て、この下山口駅入り口交差点を西(左)に約10分徒歩…  山口城址前の交差点…発掘調査では、この交差点付近が本丸だったと推測されている
道標…すぐ左に土塁が見える  山口城址の石碑と説明板…
      
 県道55号を、左(南)に曲がり西武鉄道の踏切方向へ…
案内板にあった郭・土塁の説明図…左側が県道55号、右側が西武線の踏切へ 
 
 「サンキ」の横の道路周辺から見える、土塁、土塁… 
     
 西武線の踏切のところ…
 
 右の土塁の端の方、東方向にあった社と石塔…  「サンキ」と西武の線路の間の土塁を西から東方向に見る…別掲の図面の第2号土塁に当たる 
     
 
 右上の写真お端まで行くと…フェンスがあり、一応ここまで(この右がサンキの駐車場) 再び、戻って西部の踏切方向へ… 線路越しに、サンキの建物とその前の土塁…
     
 線路越しに、サンキ側の土塁を見る…水堀の名残か、湿地になっている  線路の傍の駐車場と、その右に柳瀬川(天然の堀になっていた?) 
     
 「サンキ」の前の県道55号線…
 
左の写真の場所を、サンキ側から見る… 
    
 所沢市立山口小学校の南側には土塁の遺構が残っていたことが確認されていたが、現在ではその痕跡は確認できない…左の写真は、土塁があったと思われる付近の稲荷神社。その右の写真2枚は学校の隣の「城上公園」で、土塁らしき形状を確認するが、どうも違うらしい。現状は私有地のため立ち入りは困難との記述がある。
     
アクセス:西武狭山線 下山口駅から徒歩約15分
 ※「山口城ー埼玉県所沢市をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。 
                                              

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