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宇都宮城 栃木県宇都宮市本丸町 2014.1.23 訪問お知らせ


  ~ 築城主:藤原秀郷 または 藤原宗円 築城年:平安時代後期 主な城主:宇都宮氏、本多氏、奥平氏、戸田氏 廃城年:1868年 主な遺構:土塁 再建造物 清明台櫓、富士見櫓、土塁、堀、土塀 関東7名城 ~
宇都宮城は、平安時代後期に築かれたといわれている。鎌倉時代以降は宇都宮氏の居城であった。宇都宮氏はこの城を根拠地として、二荒山神社の祭祀を行い、周辺を支配していた。南北朝時代から戦国時代は、日本中が戦乱に巻き込まれたが、宇都宮城もたびたび戦いの舞台ととなった。戦国時代の終わりごろには、後北条氏の攻撃によって、城下町が焼かれたこともあった。この頃の宇都宮城は、敵の攻撃に備えるため、深い堀と高い土塁を持つ守りの堅い城になっていた。500年間宇都宮を支配してきた宇都宮氏は、豊臣秀吉に滅ぼされた。江戸時代には、譜代大名の居城となった。なかでも本多正純は、城と城下町のつくりかえを行った。現在の宇都宮市中心部の骨格はこの時つくられたといわれている。宇都宮城の最大の特徴は、将軍が日光参詣に行くとき宿泊したということでしょう。将軍の日光参詣は全部で19回あった。宇都宮城は戊辰戦争で建物の大半が焼失し、堀も次第に埋められて、現在では昔をしのぶものはほとんどない。(宇都宮市教育委員会発行のパンフ「宇都宮城」より抜粋・編集)
宇都宮駅内に観光案内所があり、パンフ、地図などをもらった。深謝  駅よりほぼ西の方角の、本丸町にある宇都宮城址公園へ歩く(約20分)、いちょう通りからNHK・郵便局前を左折、前方に櫓が見えてくる 城址公園に入ると、大きな堀と土塁が目の前に…
     
 公園の案内図…左の現在地のところから入城した  水堀、薄く氷がは張っていた
   
左の地図の上の方の
「清明台」に向かう
 
 
 「清明台」 本丸の土塁北西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺で描かれている 土塁上に上がり、土塀を見る 一応、矢狭間、鉄砲狭間らしいのがあるが、狭かったり低すぎて現実的ではない  櫓内部 2階には立ち入り禁止
櫓内部から外(南側)を見る  今度は、丸い穴(何のつもりの穴か?)から外を見る。堀の水面に櫓の影が…
同じく、外(西側)を見る
清明台を、外(土塁上)から見る… 清明台についての説明・古絵図 「清明台のあった部分の土塁は他の部分より高く天守の役割を果たしていたのではないかと言われている」 との説明があった。
土塁上から御本丸広場を見下ろす 土塁上を富士見櫓方向へ歩く…本丸土塁は、45~50°の急傾斜
富士見櫓 本丸の土塁南西部にあった櫓 「名前の通り、江戸時代には、遠く富士山の姿が臨めたと考えられる」と説明がなされている  土塁越しに見る
 
 
 
富士見櫓の説明と古絵図 古絵図部分の拡大
(藤見櫓とも表記)
公園内の「清明館」という休憩施設と若干の歴史展示室の前の木橋
清明館の前の「堀状の溝?」石がまとめて置いてあるが、何ら説明がないのでわからない… 富士見櫓の遠景 土塁の中央にある、おほり橋
方向への通路
右先ほどの通路の途中にあった、「まちあるき情報館」内に展示の古地図から…  土塁の途中の土塀 暑さが約30cm、屋根は本瓦葺、矢狭間と鉄砲狭間が数十か所あった
   
宇都宮市のゆるきゃら 市の花であるサツキの冠をかぶった妖精をモチーフとして、宇都宮の「ミヤ」と妖精フェアリーから「ミヤリー」と名づけられとのこと
 
おほり橋に行く途中の土塁の下(清水門の手前)にある「宇都宮城ものしり館」に展示の模型
 
交通アクセス:JR宇都宮駅から徒歩約20分
 ※ You Tubeに、「宇都宮城―関東七名城」をアップしました!動画のページからYou Tubeにジャンプして、フォトアルバムをご覧ください!  ※ 宇都宮城の釣天井伝説:本多正純が日光社参から帰る将軍をからくり仕掛けの天井を作って暗殺しようとしたという事件のこと。もちろん事実ではない。正純が突然宇都宮城を取り上げられて、出羽(秋田県)へ流されたことから生まれた創作。その後、公団・芝居の題材となり全国的に広まりました(宇都宮市教育委員会文化課が発行のパンフ「宇都宮城」)より

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