よしおば30

Welcome to New Yoshioba30's Homepage

全国城めぐりネット

 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  臼杵(うすき)城 大分県臼杵市臼杵 2018.12.20訪問
 〜 築城者 大友義鎮(宗麟) 築城年 弘治2年(1556)  主な城主 福原直高、太田一吉、稲葉氏(幕末まで15代) 廃城年 明治6年(1873年) 遺構 畳櫓、卯寅口門櫓、 空堀、堀、石垣 大分県指定史跡 続日本百名城
臼杵城は弘治2年(1556年)、大友義鎮(宗麟)によって建てられた城です。臼杵城が築かれた丹生島は、文字通り元々は臼杵湾に浮かぶ島でした。守りの堅いその地の利を生かして、この地を城郭にしたと考えられます。大友氏改易後は、福原直高、太田一吉と城主が替わり、慶長5年(1600年)の関ケ原合戦後、稲葉氏が臼杵藩5万石余の主として、臼杵城に入ります。以後、明治維新まで臼杵藩は稲葉氏によって支配されました。その後、明治新政府の廃城決定により卯寅口門脇櫓、畳櫓以外の建物はすべて破壊され、公園化されました。現在は臼杵の歴史のシンボルとして、皆さんに親しまれています。(臼杵市教育委員会が現地に設置の案内板「大分県指定史跡 臼杵城跡」より)
 JR日豊本線「臼杵」駅から徒歩5分(卯寅口)、徒歩15分(古橋口)… 古橋口側から見た臼杵城跡…左の櫓は大門櫓(復元)、右側は畳櫓(現存櫓)。
大門櫓を見上げる場所で、近くの石垣群を見る…
臼杵公園の案内図…ここが臼杵城跡でもあり大体の縄張が分かる 
 
 臼杵公園(臼杵城跡)の石碑…右側の写真は二の丸大手門口にあたるところ。後方に大門櫓と畳櫓が見えますね。
 矢張り同じ場所から見た風景…この岩盤が凄いですね。
この古橋から鐙坂方向へ… 左の橋の上から、右側の石垣と堀を見る…
     
古橋門櫓跡・亭櫓跡と読める二つの標示柱…
 
 中門跡か?…亭櫓跡方向に行く途中にあった石垣。 亭櫓跡… 鐙坂の標示柱…
     
 鐙坂を上がり、鳥居を超えて畳櫓方向へ向かう
 鐙坂を上がってきた…振り返り見る! 
 中門櫓跡の標示柱…
 鳥居を過ぎると畳櫓の標示柱が(右の写真)…その先に、畳櫓がある。「畳櫓」現存櫓…天保年間に再築された、1階と2階の床面積が同じ「重箱造り」という古式の構造。
 「大門櫓」…17世紀初頭に造られたと思われる。平成12年に模擬復元建物が整備された。両脇の石垣は「亀甲積」。
 
 今橋口・大手口、二の丸の標示柱…この先に時鐘櫓跡が。  稲葉氏入城後に造られた時報施設…元禄14年(1701年)に寺鐘楼が二王座に移されるまで時計が置かれ、臼杵城下に鐘で時を知らせていたとか。
     
 時鐘櫓跡の標示柱…
 
「井楼櫓跡」…と読める?  「会所櫓跡」… 
     
「空堀」…本丸と二の丸隔てる
 「これより本丸」の標示柱…  「畳櫓」現存櫓…  「畳櫓」現存櫓…
     
 「卯寅稲荷神社」…
 
 右上の写真の空堀より更に東側部分の空堀…   西側部分の空堀…
     
「鉄門跡」… 
 
 「天守櫓跡」…  卯寅口門脇櫓……嘉永年間に再築された櫓で、鉄砲薬櫓とも呼ばれていた。これも重箱造りの由。井戸がある場所を挟んで反対側から撮影 
     
 「井戸跡」…
 
 卯寅口門脇櫓の横から対面の石垣を撮影…この崖の上が本丸に当たる   左の写真部分の続き…やや西側を見る
     
 「卯寅稲荷神社」に上がる階段…
 
           
アクセスJR日豊本線「臼杵」駅から約5分(卯寅口)
 ※ ユーチューブに「臼杵城 大分県臼杵市」を投稿しました。ここをクリックしてユーチューブのページにジャンプしてご覧ください…工事中!

ギャラリー