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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

臼井城址(うすいじょうし)千葉県佐倉市臼井田 2013.12.7 訪問お知らせ


I 郭(本丸)から
印旛沼方向を臨む
  築城主:臼井常康か 築城年:不詳(12世紀中頃~14世紀中頃)か 主な城主:臼井、原、酒井 廃城年:1604年(豊臣秀吉の小田原攻めの折に千葉氏は滅亡、江戸時代に酒井家次3万石の居城となったが、1604年に廃城)主な遺構:土塁、堀(いずれも見事!)~
千葉氏の一族臼井六郎常康が臼井に居を構え、臼井氏の中興の祖と言われる興胤(14世紀中頃)の代に、この城の基礎がおかれたと伝えられる。現在の遺構は15世紀以降のものと考えられるが、城跡は本丸、二の丸を中心として、空堀、土塁等の旧態ををよく残している。戦国時代の末期には原氏が城主であったが、天正18年(1590)小田原落城により、千葉氏とともに滅んだ。以後、酒井家次3万石の居城となって慶長9年(1604)の転封まで使用された。太田道灌・上杉謙信の軍との攻防戦は有名である。(佐倉市教育委員会が現地に設置の案内板より)
左側の星神社の傍から旧三の丸から 現在地とある城内→二の丸→本丸へと歩いた!
 
白井妙見社(星神社):粋な名前
…妙見とは北斗七星を神格化したものとのこと(説明板参照)
 
太田図書の墓
      
図書は太田道灌の弟(一説には甥)で室町時代
の臼井城攻めのときにこの場所で討死したと伝承
 II郭(二の丸)入り口にあった城址碑 II郭 現在は城址公園として、広場になっている
     
訪問した時は小学生くらい
の子供たちが遊んでいた。
II郭の北側の端から空堀を見下ろす かなり深い 
     
II郭から城内を通り、I 郭の坂虎口へ。この間は、空堀によって区切られていて、狭い土橋をかけて一度に敵が侵入できないように設計。更に曲がった坂をつけて土塁上から攻撃しやすいようにしている。なお、現在は盛り土によって覆い、保存している。 
 
 土橋についての説明
 
説明板の表示の縄張り図の拡大 土橋より左側の空堀を見る
   
同じく、右側の堀を見る…駐車場になっている! 
 
 土橋を過ぎて、I郭の手前の(最初の地図で)臼井とある場所に…そこの北側のでっかい空堀に降りる  I 郭へ這い上がろうと…かなり急で危険!
 周囲の土塁郡
 
「 臼井」の部分…やはり周囲の土塁が見える  そこから印旛沼方向を見る
     
I 郭へ上がる階段の最後の
ところに石垣が?!
(近世のものとの
情報もあるが不詳)
 印旛沼を臨む  印旛沼を望遠レンズで
   
I 郭の広場… 臼井の町を見下ろす… 
 もう一度 I 郭を見る 江戸時代の名力士、雷電為右衛門と妻の墓
…死後妻の出身地である臼井に分骨された
アクセスの参考に!京成本線 京成臼井駅から徒歩約10分
     
交通アクセス:京成本線「京成臼井」駅から徒歩10分
※You Tubeに「臼井城」
をアップしました!
こちらから You Tubeへジャンプしてご覧ください!

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