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  地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

浦賀城 神奈川県横須賀市東浦賀 2014.5.4 訪問お知らせ


~ 築城主:不明(北条氏康?) 築城年:不明(15世紀末~16世紀)  主な城主:三浦氏、北条氏 廃城年:1590年 主な遺構:曲輪、土塁、空堀 ~
 戦国時代に小田原北条氏が三浦半島を支配した時に、房総里見氏からの攻撃に備えて北条氏康が三崎城の出城として築いたと言われています。水軍の根城として山頂には空堀など城の遺構が残り、下田山・城山とも呼ばれていました。昔から眺望の素晴らしい所で対岸に房総半島、正面に浦賀八勝のひとつ燈明堂がみられます。この明神山は自然の社叢林(しゃそうりん)で県の天然記念物に指定されウバメガシ分布の北限とされています。ペリーの黒船4隻が浦賀沖に来航した時、眼下の湾の左辺りに停泊しました。安藤広重の武相名所の旅絵日記の56景の一枚に描かれている。(明神山山頂・本丸に設置の案内板より)
 浦賀駅から少し離れた場所にあった地図 緑色に塗ったルートで、西叶神社~為朝神社~浦賀奉行所跡~浦賀の渡しで対岸の東叶神社~浦賀城址などの順に回り浦賀駅に戻った。  京急本線で浦賀駅へ
(堀之内乗り換えで浦賀駅が終点)
   
 左の地図の浦賀ドックの壁にあった案内板
 
 西叶神社 この手前が道路で右の写真は道路の反対側より撮影。叶明神は、平家の横暴ぶりを憤った文覚上人が、上総国鹿野山にこもり、はるかに山城国(現在の京都府)石清水八幡宮に源氏の再興を願って叶えられたことから、養和元年(1181)にそのみ霊をこの地に迎えて祀ったことに始まると伝えられている。従って、この神社の祭神は石清水八幡宮と同じ応神天皇です。(現地案内板より抜粋) 二つ目の鳥居を過ぎて後ろ振りかえる…遠くに浦賀港が見える…
 
 為朝神社 浜町(現 浦賀4丁目)の鎮守で、その名の通り源為朝を祀っている。寛政12年(1800)浜町の漁民が、海に漂流していた木像を引き上げ、地蔵堂に安置し、祈願をすると、その功が多かったそうで、鎭西八郎為朝の像であった。創建は文政期(1830年代)であり、航海及び疱瘡除けの神様として信仰を集めた。(横須賀市HPの説明より抜粋)
   
 浦賀奉行所跡 享保5年(1720年)に奉行所が下田から浦賀へ移された。その業務は船改めをはじめとして、海難救助や地方役所としての仕事などを行った。また、文化・文政(1804~1830)のころから、たびたび日本近海に出没するようになった異国船から江戸を防備するための海防のの最前線として、さらに重要な役割を果たすようになった(以下略)…などの説明(浦賀観光協会の案内板より)
奉行所跡から港へきて、対岸の明神山(山頂に浦賀城址)を見る
船番所跡 浦賀奉行所の出先機関で、享保6年(1721)から明治5年まで、乗組員と積荷の検査をしていた 浦賀の渡し 湾が1.5kmも入り込んでおり、東西両岸の住民が往来するのには、渡し船が便利であった。浦賀町営~横須賀市営になり、昭和24年以降は運航業務を民間に委託し現在に至っている。(現地の案内板より)
 渡し船から西叶神社を振り返る  東叶神社 祭神は西叶神社の説明を参照。神社の裏山、明神山の標高は約50mで、後北条氏の頃」、しばしば房総半島の里見水軍が、三浦半島に攻撃をかけてきていたので、それを防ぐためこの明神山に水軍を配置した。
神社境内にあった「叶神社境内案内図」 緑色に着色のルートで山頂、城址に行った。 説明図の①にあたる。拝殿。
  
「勝海舟断食修行の折使用の井戸」とのこと
 
「この蘇鉄は源頼朝公源家再興の折伊豆より移植奉納されたものである」との説明板がある  拝殿を超えて山頂への階段を行く 後を振り返り港と対岸を見る
   恵仁志坂(えにしざか)上の地図の⑧のところ 産霊坂(むすびざか)上の地図の⑮のところ
 
 産霊坂(むすびざか)の標柱 「勝海舟断食の跡」後の説明板(叶神社が設置) 勝海舟断食の跡 (横須賀市が設置)
     
 東照宮(案内図の⑫)  本殿(奥ノ院)案内図の⑪ 神明社(⑬の位置)
     
 東照宮(階段の上) 明神山の山頂部 比較的広い曲輪(本丸)
     
本丸から対岸、房総半島を見る。鹿野山、鋸山~金谷城方面(よく見えないが)  主曲輪(本丸)から下を見る
…帯曲輪?ひな壇状になっている
    
こちらも同様、帯曲輪和らしい…
 
 分かりにくいが、本丸帯曲輪周囲の「土塁~空堀」?  井戸跡らしくも見えるが…
     
顕正寺 天正元年(1573)に顕正坊日実大徳が庵を結んだのが創建と伝えられている日蓮宗のお寺。
中根東里の墓がある。東里は江戸時代中期の陽明学者で、晩年、浦賀に移住した。
  
     
交通アクセス:京急本線浦賀駅から徒歩15分
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