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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

津和野城 島根県鹿足郡津和野町後田  2015.5.11 訪問お知らせ

 〜 築城者 吉見頼行 築城年 永仁3年(1295年) 主な城主 吉見氏、坂崎氏、亀井氏  廃城年 明治4年(1871年) 遺構 櫓2棟、石垣、空堀 指定文化財 国の史跡 日本100名城 別名 三本松城  〜
 文永11年(1274)、弘安4年(1281)の元(蒙古)軍の北九州・北浦への来襲を受け、鎌倉幕府は西岩見の海岸防備を吉見頼行に命じた。頼行は弘安5年(1282)家来とともに能登から木曽野(津和野町北西部)に地頭として入り、永仁3年(1295)この城山山脈に築城を始めた。以後、吉見氏は14代300年間、随時増築補強を行い、城山山脈の諸所に曲輪・堀切・竪堀・横堀などを構築して堅固な中世山城(一本松城あるいは三本松城と呼ばれた)を築いた。この山城は天文23年(1554)の「三本松城の役」では大内氏・陶氏・益田氏その他の大軍に山麓を包囲されながらも、4月から8月までの100日余の籠城戦に耐えた。吉見氏は関ケ原合戦(1600)で毛利氏とともに西軍として戦い、敗れて萩へ退転した。翌年、坂崎出羽守が初代津和野藩主として入部し、現在の本城と織部丸の位置に高い石垣の近世山城を築いた。(現地に設置の案内板 「中世山城 津和野三本松城跡」より)
太鼓谷稲荷神社の参道を通り、駐車場側に降りて、津和野城跡方向を目指す…  途中に山頂への山道があった。…観光リフトを使用しない場合はここから入山!
 観光リフト…片道約5分 リフトを降りてこんな山道を進む… 少し歩くと堀切が… 
     
  堀切を堀底から見る…実際はもっと深かっただろう
 
  再びこのような山道を通り先ずは出丸へ向かう…
 
 左へ行くと出丸…直進は本丸へ 出丸遠景と入口(虎口)…
出丸全景…  出丸の北端…櫓の礎石のようだ 出丸の東側の端から津和野の街を見下ろす…
 津和野川と、山口線・御幸橋を見下ろす…橋の手前左側に太鼓谷稲荷神社の赤い屋根が見える 最初に通った虎口を上から見る…
  
 西側の石垣…
 
本丸方向へ山道を再び…   織部丸に建つ「津和野城址碑」…
 城山付近の地形図…観光リフトからの位置関係が分かりますね! 中世山城 津和野三本松城跡の説明板と縄張図(左の写真)…
 
大手登城道への道標…ロープが張られ立ち入り禁止だだった
 
 この先5分で本丸…  本丸手前の郭…津和野城址碑とクマに注意の看板(右の写真)が見える
   
  本丸へはもうすぐ… 少し先に石垣が見えてきた…
 
東門跡の案内板と三段櫓跡への仮設鉄製階段… 枡形状になっている東門(大手道から最初の入城門となる…
 二の丸手前の帯郭と二の丸の石垣が見事…この辺は立ち入り禁止のロープが張られていた
三の丸側の石垣上から東門方面を見下ろす…
 東門を入って右側の三段櫓跡の場所か…
 ここを上がって右に行くと馬立跡・台所跡…  天守台の石垣の一部が見える… 馬立跡・台所跡の標示… 
三の丸の海老櫓跡の場所か?… 天守台の前にあった説明板から縄張り図…現在地の場所
      
 馬立跡・台所跡・海老櫓についての説明板…
 
 三の丸から東門・三段櫓側を見る…新緑がきれいだった   三の丸の北端付近…
  
 台所跡の標示柱が…
 
 台所跡の端の部分… 台所跡から続く水路跡… 
     
 台所跡から西の方へ伸びる石列(排水路?)…
 
 馬立列の跡の石の列が…   三の丸の東側端…向こうに見えるのは二の丸側
     
 東門の枡形が見える…
 
 三段櫓跡の上から見下ろす… 最初に入った東門跡の鉄製階段が見える…
     
 ここに見える石は、説明板にあった「周囲は堀で囲まれ、その支柱を支えるための控え石がおおむね1間おきに置かれている」その石列か?  「津和野城西門跡」との標示柱が見える…
     
 西門を下がっていくと…  西門・西門櫓跡を見下ろす… 
     
 行き止まり状態だった…振り返って北方向を見ると
 
天守台の前で、案内板越しに天守台の石垣を見る!  天守台の石垣を回って
南門櫓跡方向へ行く…
     
南門櫓へ行く途中の通路…左が人質郭
 
人質郭を下から見上げる…  人質郭を三の丸(南門前)から見上げる…この郭には石段がなかった
     
 南門櫓跡が見えてきた…
 
 天守台より、三の丸(馬立跡・台所跡方向)を見る…  天守台より見る東門虎口… 本丸(三十間台)…城の最高所である
     
 三十間台から人質櫓台〜三の丸・南門跡方向を見る…   太鼓丸方向への階段を降りた…
     
 雑草が鬱蒼としていたが、比較的よく整備されている…雑草刈取り作業の人がいた
 
遠くに太鼓丸の標示柱が見える… 太鼓丸にて北東側を見る… 
     
この階段の上が三十間台…
 
 太鼓丸から、人質郭、右が三十間台…   二の丸〜東門方向へ降りる…
  
左が太鼓櫓の石垣…
 
 東門跡の方へ…  修理用のビニールシートが見える…  リフト乗り場へ歩く…
 
 リフトで降りる…  駐車場側から舗装道路を歩く… ここで9号線に合流…
     
 嘉楽園…津和野藩主亀井家の藩邸があった場所。右の写真は藩主が祭礼等の催し物を見物した「御物見櫓」で保存のためここに移築されたとのこと(下の写真に説明) 
     
 
 
 馬場先櫓…旧津和野藩邸表門の左方の角地に配置された隅櫓で、周囲に馬場があったのでこの名が附けられた。建築年代については記録がないが、藩邸が寛永6年(1854)の大火焼失し、安静3年(1856)に再建されていることから、この櫓も安政年間の建築と思われる。(現地に設置の案内板より) 
     
 
 多胡家老門…亀井氏11代にわたり家老職を務めた武家屋敷門(保存修理工事中…H27.12/31迄) 藩校養老館…一部は民俗資料館として使用されている。  津和野城下町…側溝に鯉が放流されている
     
アクセス:JR西日本山口線津和野駅からバス約10分徒歩約10分(山麓まで)
※「津和野城ー島根県津和野町」をYouTubeにアップしました。You Tube のページ(こちらからご覧ください。

※「山口線の車窓から 新山口→津和野駅」をYouTubeにアップしました。You Tube のページ(こちらからご覧ください。
                  

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