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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

津城 三重県津市丸の内 1st. 2010.12.16、2nd.2013.8.1 3rd.2017.8.30  訪問お知らせ

  〜 築城主:織田信包(織田信長の弟) 築城年:元亀2年(1571) 主な城主:織田信包、富田一白、藤堂高虎(1608年入城、以降明治まで藤堂氏が城主) 廃城年:明治4年(1871)廃藩置県の際に存城が決まるが陸軍省の管轄に 主な遺構:石垣、水堀 続日本100名城 三重県指定史跡 〜
津城は、織田信長の弟の信包(のぶかね)によって築城された。天正8年(1580)に五層の天守閣が完成し、それまで柳山あたりにあった町屋が移されて城下町が作られた。その後富田氏が城主となり、慶長5年(1600)関ケ原の戦いの前哨戦で西軍の攻撃を受け、津の町は戦火にあい、荒廃した。慶長13年(1608)に藤堂高虎が伊予今治から移ってくると、本丸の北側を広げて石垣を高くして両端に櫓を新築したり内堀・外堀とも整備したりするなど大改修を加えた。そして、城を中心に北・西・南に武家屋敷を、東には町家を置き、町外れを通っていた伊勢街道を城下町に引き入れ、町の発展に努めた。また、城下町の東の端に堀川を掘り、船を入れて商業発展に利用するとともに、城下の外側の守りとした。また、堀川の外側には寺院を配置し、万一の場合の防御の最前線とした。西側の武家屋敷の西一帯は湿田で、ここに町家を建てることを禁止し、万一の場合と火災に備えた。本丸等の詳細説明と縄張図を次の行に掲載。(津市教育委員会が現地に設置の案内板「津城跡」より。
※津駅前にあった観光案内所で入手のパンフ類(津の歴史ガイドM津名所図絵など)及び「三重の山城ベスト50を歩く」を参考にしました。)
 @【 本丸】石垣が切れたところには埋門と呼ばれる門があった。周囲には丑寅三重櫓をはじめ5つの櫓があって、多聞櫓と呼ばれる渡り廊下の」ようなものでつながれていた。
A【西の丸】現在は日本庭園になっているが、昔は番所や倉庫があった。南西には玉櫓と外郭から入ると鍵の手に曲がった所に2階の櫓門があった。本丸との境には西の鉄門があり、土橋でつながっていた。
B【東の丸】現在は商工会議所や公園になっているが、かつては小さなお宮さんがあったといわれている。
C【内堀】本丸、西の丸、東の丸を取り囲んでいたが、順次埋め立てられて現在は本丸と西の丸の周りに残っているのみである。
D【二の丸】内堀と外堀に囲まれたところで、重臣の屋敷や藩制の中心機関があった。また周囲には12の小さな櫓が築かれ、北(京口御門)・西(伊賀口御門)・南(中島口御門)に門が設けられていた。文政3年に(1820)には、藩校有造館(現在のNTT西日本三重支店付近)がおかれた。日本庭園の中に有造館の入徳(市指定史跡)が移築されている。
E【外堀】城の内と外を区切る堀で、岩田川から水を取り入れていたため潮の干満で水面が上下した。現在はすべて埋められている。
 
 前回訪問時工事中であった丸の内商店街は、百五銀行の丸の内本店(?)の建物になっていた。この工事に伴い津城の遺構・遺物が出土したことから発掘調査が行われた。現在では、埋め戻され、一部の内堀の石垣を解体・復元整備されているのみ(右側の説明版参照)
 櫓の真下の道路から撮影   右の写真は復元の石垣だが、端の部分の算木積がよくわかる。この模擬櫓は、昭和33年に高虎の入府350周年事業として造られたもの。しかし、津城とは異なる櫓をモデルにしているし、この場所も本来櫓がなかった場所とのこと。
      
「東鉄門枡形ー本丸東側に位置する虎口」の説明版…
 
 東鉄門枡形を入ったところにあった標示柱「旧町名 丸の内本丸」… 丑寅櫓の説明版…本丸東北隅にあった。城内最大の櫓であったといわれているり。 枡形虎口の南側の土塁上にあった標示柱、「史跡 津城跡」…
北側の内堀に面した土塁上から北西側を見たもの。  三重隅櫓を旧鉄門があった辺りから見上げる… 
     
 土塁上を北方向に歩く…
 
明治20年代から外堀・内堀が順次埋立てられ現在では外堀は完全に市街地に、内堀も現在では北側と西側に規模を縮小して残されているのみ。発掘調査では内堀・外堀の石垣が発見され、津城の内堀の幅が80mを超えることが確認された。左の写真は戌亥三重櫓跡でそこから北方向を見る。右の写真は北側土塁の内側(南側)の石垣を見下ろしたもの…
  
 北側土塁の端(北西角)の石垣を見る…この上が戌亥三重櫓跡
 
 北側の土塁上の、戌亥三重櫓跡から南方に鍵状に曲がっているところを見る(左の写真)…右の写真は、その南方へ曲がった石垣を本丸の郭から見たもの。 
     
 本丸から西の丸に通じる「西鉄門」の説明版…
 
 入徳門(にゅうとくもん)…藩校有造館の門がここに移築された。朱塗りであったため赤門と呼ばれた。有造館は文政3(1820)年城内の角(現在のNTTビルがあるところ)に開校。。   左上の写真の「西鉄門」の案内板と後方に北側の石垣(右上の写真の石垣)部分…
     
 入徳門のある西の丸から内堀を経て高山神社方面への橋に向かう…
 
 橋上から、西側を見る。見えているのは津市役所か…  こちらは左(東側)の堀を見る… 内枡形門部分を櫓台跡と思われる場所から見下ろす…
     
 同様に別の角度から枡形門を見下ろす… 下に降りて、枡形門内部から内堀・橋方向を見る… 
     
 本丸内部の南端にある藤堂高虎像…
 
 埋門跡をお城児童公園側から見る…この左側に天守台跡が   埋門を内側から見る…
     
南西の角方向…その方向に天守台跡が 
 
 埋跡を出て、児童公園側の石垣下の通路を通り高山神社方向へ行く… 左の写真の奥の櫓台跡の部分…この上が天守台跡と思われる  
     
 
 
 高山神社…藤堂高虎を祭神とし、明治10年の津偕楽公園に明治34年にここに移された。  南側の土塁上を歩く…  下に降りて、お城児童公園方向へ行く…
     
 「史跡津城跡」の標示柱…  再び「三重隅櫓」の近くに来て、別のアングルから見上げる… 
     
 奥に見えるのは「月見櫓跡」だろう…
 
 本丸北側の石垣…石垣の下部には高虎の縄張の特徴の「犬走り」が見える   北多聞櫓(後方の石垣)…
  
 北多聞櫓の説明版…
 
アクセスJR紀勢本線、近鉄名古屋線津駅から徒歩20-30分 津駅から三重交通バスで約10分か。
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