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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 

龍岡城 長野県佐久市田口3000番地 1st 2013.4.18 2nd 2014.8.5 訪問お知らせ

 信州に12,000石、三河に4,000石の封地を持つ三河奥殿藩の松平氏は、宝永以来160年間三河に本拠を持ち、佐久には陣屋を置いて、領内22カ村の統治を続けてきたが、11代乗謨になって、幕末激動の情勢に応じて信州に居館を移すことを計画し、元治元年(1864)3月着工、慶応3年(1867)竣工、地字名をとって龍岡城と称した。用地1万余坪は田野口村より、石材木材などは領内より献納、総費用4万円余であった。藩主乗謨は学才識見ともにすぐれ、幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁などの要職につき明治に入っては、佐野常民とともに、赤十字社の前身である博愛社を創設し、副社長、又、賞勲局総裁など歴任した。築城にあたっては、稜堡式築城法を用い、いわゆる五稜郭が成立した。そしてこれより4年前に完成した函館五稜郭址とともに、わが国城址の中においてただ二つの貴重な様式城郭である。廃藩後、明治5年、城はとりこわしとなったが、幸い、濠と石塁、建物の一部大台所を残している。(資料 現地設置の説明板より)
JR小海線 龍岡城駅に設置の「案内図」より…臼田駅と龍岡城駅が龍岡城五稜郭への最寄り駅。放置自転車の活用による無料レンタサイクルが、龍岡城駅、臼田駅、龍岡城にあり自由に借用・乗り捨てができる。但し、自転車の台数は少ない… 竜岡城駅を降りた…付近にはコンビニも食堂もない
      
 
 10数分歩くと、案内標識が出てきた…ここまで全く道標がなく、
途中で地元の人に聞いたが、地元の人もほとんどいなかった。
 「龍岡城枡形」に到着…
     
 枡形にあった「史跡龍岡城址」の碑  枡形にあった案内図 
     
「史跡 龍岡城詩」の説明版と
枡形の石垣
 
 枡形虎口の石垣  この枡形虎口の入り口に鳥居が… 判読困難だが、石垣の
すぐ前にあった
     
 枡形を過ぎて少し行くと、龍岡城跡100mとの表示…ここで右折  龍岡城跡の手前にあった、鳥居 「佐久市歴史の里 五稜郭であいの館」…かつての大手門跡にあり、龍岡城に関する資料が展示されている。
     
石垣の高さは、堀底から3.64m、その勾配は頂上と底で29CMと直立に近い。石垣上の土塁の高さは2.27mで、頂上の武者走りは2.2m幅(現地にあった資料より)   「史跡龍岡城址」の碑のそばの説明版…昭和9年に設置された
     
 大手門と横に立つ「城址碑」 「龍岡城五稜郭の説明と要図」
     
 大手橋の上から堀、右側を見る…  橋を渡って振り返り見る…
     
 入ってすぐ右にあった「田口招魂社」  廃城後は、城内のほとんどが農地転用され、御台所櫓は1875年以降小学校校舎として利用され、1929年以降は、現在地に移築された。
     
 石垣に使用された石は、形に応じ巧みに組み合わせて積まれ、一つ一つの角を丁寧に擦り合わせて積む「切り込みはぎ」で隙間をなくし、特に砲台下の石の配列を菱形にした「亀甲積み」は極めて美しく、大手橋付近の重ね積み(布積み)とともに優れた造形美を見せている。東南から南へ回る外側の石垣は一部粗末になり「打ち込みはぎ」から「野面積」へと変わっている。(現地にあった資料より)
     
 
アクセス:JR東日本 小海線臼田駅より車で5分、徒歩15分、龍岡城駅から徒歩約20分
 ※「龍岡城ー長野県佐久市」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。

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