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田丸城 三重県度会郡玉城町 2017.9.2  訪問お知らせ

  〜 築城主:北畠親房 築城年:延元元年(1336) 主な城主:北畠一族、織田信雄、稲葉氏、藤堂氏、久野氏 廃城年:明治2年(1869) 続日本100名城に選定 主な遺構:郭、石垣 〜
田丸城は、南北朝動乱期の延元元年(1336)、後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房が、愛洲(あいす)氏や度会(わたらい)氏などの援助を得てこの玉丸(たままる)山に城を築いて南朝方の拠点としたことが始まりとされる。南朝方の拠点である吉野から伊勢神宮の外港大湊(おおみなと)に通じる道は、軍事・経済の面からも吉野朝廷にとっては最重要路線であり、玉丸城は北朝・南朝の攻防の舞台となった。
室町時代には、伊勢国司となり一志郡美杉村の多気に館を構えた北畠氏の支城として伊勢志摩支配の拠点となっていた。天正3年(1575)、織田信長の次男で北畠氏を継いだ織田信雄が、玉丸城に大改造を加え、本丸・二の丸・北の丸を設け、本丸には三層の天守閣を建て田丸城の誕生となった。天正8年には、この天守閣は炎上した。
江戸時代には紀州藩主徳川頼宣(よりのぶ)の家老久野宗成(くのむねなり)が田丸城主となり、久野家は代々城代を勤めた。城は、明治2年(1869)に廃城となり、同4年には城内の建物は取り払われた。昭和3年(1928)、国有林となっていたこの城地の払下げに際し、村山龍平の寄付に寄り町有となり、その後残りの城地も町有化し、町民に開放された。
(玉城町が現地に設置の案内板「三重県指定 史跡 田丸城跡」より)
田丸城跡に入ったところにあった「富士見門」…この城門は江戸時代中期のもので往時の原形をとどめた現存する唯一の建造物(案内板より)。廃城時に移築されていたが1984年城内へ再移築された。両側に長屋がついていた長屋門形式だったとか。かつては三の丸にあった由。  田丸城の入り口付近の「うどん ごはん」の看板のところに「田丸城跡」の標示柱…
      
 蓮池跡…
 
本丸虎口への通路の途中に見えた土塁の残存…  本丸虎口…平成15年度の発掘調査で、門の礎石や石段など、宝暦年間(18世紀中ごろ)を挟んで大きく2時期に分かれる遺構が見つかった…整備にあたって、宝暦年間より古いと思われる遺構については切り石を、それ以降は自然石を用いて表示している(現地案内板より) 
     
 上の写真の続き部分で、右の本丸虎口に通じる…
 
 虎口(入口)ですね… 少し上がると右に石垣…  そしてこの先で直角に曲げて枡形門につながる…
     
右上の写真の手前で、通路の右(北)側の堀跡を見る…  左の写真のところから虎口・門跡を西方向へ進む…
  
 門跡ですね。礎石の場所を石で明示している…
 
 北の丸と本丸の間の帯曲輪に降りる階段…  北の丸は本丸東虎口から本丸下段をめぐる帯郭を経てつながる(帯曲輪との間は空堀)…
     
 北の丸には稲荷神社が…
 
 北の丸跡の端、本丸との間の空堀・帯曲輪を見る…  階段を上がると稲荷神社の鳥居が…
     
 上の写真の続きの部分で「北の丸跡」の標示柱…
 
 北の丸の西側の端には土塁跡らしいところが… 北の丸の西北方向を見る…
     
 北の丸の一角にあった「四等三角点」柱…
 
 北の丸を後にして、再び本丸虎口に戻り、本丸方向へ進む…このアングルの石垣いいでしょう?   左の写真に続いて、礎石跡を示す石列を通り、枡形虎口に進む…
     
 上の写真に続いて更に進む…
 
 本丸虎口…ここでも礎石の場所が明示されている。左上の写真は「本丸虎口と門」の説明版。このすぐ下の写真のほぼ真ん中部分(階段状に見える)が自然石、すなわち宝暦年間以前のもとのこと 
     
 本丸跡に来た…「本丸跡」の標示柱が見える
 
 右下の写真の土橋の先の、三の丸方向へ続く通路…右上の写真→右下の写真からこの下の写真に続く  二の丸虎口方向への階段・通路…
     
本丸と二の丸の間の空堀を跨ぐ土橋… 
 
二の丸の端に来た…  左の写真に続いてすぐ二の丸に…二の丸跡の標示柱が見える 富士見台との標示がある場所…隅櫓がここにあったのか 
     
 左の写真は三の丸(現玉城中学校)方向へ降りる通路…左上の写真から右の写真の通路に続く 
     
 通路を下りて、玉城中学校の前に来た…石垣と土塁が混在?
 
 本丸の北端部にある天守跡…右の写真は石階段を上がり天守跡全体を見下ろした 
     
天守跡入口部分の石垣… 
 
 天守跡から本丸の南側方向(二の丸側)を見下ろす…  天守跡を、今度は反対側から見る… 
     
 西側の小高い場所に櫓跡との標示柱…
 
再び本丸虎口に戻り、本丸周囲の帯曲輪に行くべく、本丸と北郭の間の通路(帯曲輪)へ…
     
 可なり夏草が生い茂っている…
 
 左側、石垣の上が本丸…  本丸の西側の帯曲輪…比較的歩きやすい 
     
 本丸と二の丸の間の空堀に出てきた…
 
 玉城中学校(三の丸)の前の本丸虎口…「田丸城址」の石柱が   虎口を出てすぐ右側(東側)の玉城中学校グランド前に「田丸城址・三の丸(井戸水源)との標示柱…
     
二の門跡… 
 
 上の写真の城址碑の横の「田丸城廓の図(江戸中期)」… 玉城中学から玉城町役場を右に見て東方向の大手門跡から大手門橋を渡る… 
     
 橋の入口から振り返り大手門方向を見る…
 
 大手門橋上から左(北)側を見る…結構広い堀幅だ  大手門橋の東詰めから南側を見る…役場庁舎が見えますね 
     
田丸勘定所跡… 
 
 奥書院の標示版…  三の丸奥書院…廃城の際農家に払い下げられていたが1991年にここ(町役場の北)に復元された。1667年の建築で城主の居間や寝所の間があった。 
     
 玉城橋 大門跡の標示石柱…
 
 田丸神社境内には、移築された蔵2基が現存する…改修の跡は見られるが屋根に久野氏の家紋瓦が見られる  
     
 田丸神社の石柱…
 
アクセスJR田丸駅から西へ徒歩10分
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