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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

滝の城(たきのじょう) 埼玉県所沢市城 1st 2013.2.1 2nd 2016.12.11 訪問お知らせ

 〜 築城主:太田道灌? 築城年:不明(15世紀半ば?) 主な城主:北条氏照 廃城年:天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城。 主な遺構:郭、土塁、空堀、櫓台跡、井戸跡 〜
滝の城は東川と柳瀬川の合流地点に築かれ、南側は高さ約25mの急崖、北側は三重の堀や土塁によって守られています。本郭・二の郭・三の郭の内郭とそれらを囲む外郭・出郭で構成される多郭式の平山城で、内部は現在も遺構が良好に残されていることから、大正14年に埼玉県史跡として文化財指定されています。
滝の城は関東管領山内上杉氏の家臣で武蔵守護代などを歴任た大石氏が15世紀後半に築いたと言われてきましたが、最近では扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の家宰で江戸城・河越城を築いた太田道灌が両城を結ぶ「清戸道」の中間地点に滝の城を築城したとも考えられています。「道灌状」と呼ばれる書状に「江戸近所豊島勘解由左衛門尉・同弟平右衛門尉両所構対城候之間、江戸・河越通路依不自由…」とあり、これによると豊島兄弟が両所(石神井城・練馬城)に対城を構えたので江戸城と河越城の連絡が不自由になったというのです。この両城に挟まれていたのが「清戸道」であり、「清戸道」は江戸城から練馬大泉・新座市・清瀬市を通り滝の城へ入ったと思われ、現在もその名残が所々で見え隠れしています。
やがて伊勢宗瑞(北条早雲)が関東に進出して北条氏が台頭、早雲の孫の氏康との河越夜戦(1546)で扇谷上杉氏は滅ぼされ、滝の城は北条氏の次男、氏照に引き継がれました。その後「境目の城」として重要な役割を担い、柳瀬川の対岸(志木街道の桜株)には番所が置かれ、三田氏に輪番で警固をさせていたことが、永禄7年(1564)に発給された「北条氏照 清戸三番衆交代命令状」として残されています。更に、東へ北条氏の支配が進むと滝の城は河越城・岩付城への「つなぎの城」となり、永禄7年〜天正5年にかけての下野方面への出兵の際には陣揃えの地にもなっています。滝の城の外郭もこの時期に整備され、兵站基地として多くの兵が駐留できるようにしたものと思われます。しかし、天正18年(1590)滝の城は豊臣秀吉による小田原攻めの際、浅野長政勢の北方からの攻撃を受けて、1日で落城したと言われています。
(資料 滝の城跡保存会作成の案内チラシより抜粋)
 バス停から南方向へ入る…  城跡入口のところ…この右側に東所沢病院が 
     
所沢駅東口行の時刻表…武蔵野線の東所沢駅(武蔵野線)経由 
 
 右上の写真の「城跡入口」の標示の左にある案内板より抜粋、拡大した。また、回ったルートを、オレンジ色→朱色→えんじ色の直線で表示(加筆)した。黄色で表示の名称は社務所横にあった説明より…  バス停から城跡(南方)方向へ歩く…道路の右が東所沢病院 
     
 左の案内板の前を通り社務所方向へ進む…
 
ここで右方向に曲がって‥ 右上の写真のところから眼前の二重掘り跡を見る… 
    
前方に鳥居が見えて来た…
 鳥居の手前で、右側(南東)の空堀を見る…奥に東所沢病院の建物が見える 左の写真の場所から反対側(北西)を見る…
社務所の横の二の丸(駐車場)を左に見て神社本殿への階段方向へ…
二の丸・駐車場を見渡す…周囲に土塁の残存が見える 社務所前にあった「滝の城跡縄張り図」を引用させてもらった…
城山神社(本郭跡)へ
 本郭の広場に立つ「瀧之城本丸之址」の石碑… 広場の東側に残る土塁…  本郭の東側の内堀・方向への階段…
     
神社本殿裏の「四脚門跡」…「平成2年の発掘調査結果、門跡は、北側、馬出郭、三の丸に続く道路として曳橋がかけてあったようだ」との説明があった 神社本殿右側の通路を通り左の写真の方向へ…
 
城山神社本殿…この右(東)に武蔵野線が見える
 
 本郭から、再び上がってきた通路を通り、最初に右側に見た空堀(内堀)に入る…きれいに整備されている。右の写真の先に、先ほど見本郭からの階段の下に出た(左下の写真)  
この上が本郭・城山神社本殿…
本郭下の通路を下る…右側に大きな空堀跡が。
  
 社務所前に出て、空堀横の通路を三の丸方向へ歩く…
 
 右上の写真の通路少し行くと、「本丸虎口」との標示が…その場所から下(堀底)を見下ろしたのが左の写真 
     
 三の丸に到達…左の案内標示柱は「大井戸跡」とのこと
 
 三の丸跡(別名 茶呑み飲郭)城主が在城の際には家臣と共にここで茶の湯を楽しんだと言われている(説明板より)…   三の郭と本郭の間の空堀…
     
 大井戸跡の標示柱…
 
 三の丸北側の大規模空堀…ここから物見櫓跡方向へ 
     
北側の通路…奥に住宅街が見える
 
 物見櫓跡の標示柱を見て矢印方向へ行き、右の写真の斜面を登る…  
     
 物見櫓跡の方向を見る…
 
 物見櫓跡の辺りから降りて東郭方向を見る(標示柱が見える)…  再び、社務所方向へ戻る途中にあった「馬出」の標示柱… 
     
 この辺が東郭か…
 
 三の丸下の空堀底を三の丸方向へ歩く(右の写真が三の丸への上り口)… 最初に入ってきた鳥居を通り… 
     
 「血の出る松」との標示柱を見つけた…所沢市立図書館のホームページによると、「樹齢数百年を数える黒松があり、肌を傷つけると血の色をした樹液が出ました。落城した時に討死した城兵の血が地に染み込んだためと言われていました」との説明がありあました  
    
 アクセス:JR武蔵野線「東所沢」より西武バス「志木駅南口」行で「城」下車 徒歩5分
※ You Tubeに「滝の城(たきのじょう)ー埼玉県所沢市」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください! 

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