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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  高田城 新潟県上越市 2014.11.21 訪問
 〜 築城者 松平忠輝 築城年 慶長19年(1614年) 主な城主 松平氏、稲葉氏、榊原氏 廃城年 明治3年(1871年) 遺構 土塁、堀 指定文化財 県指定史跡 再建造物 三重櫓 別名 鮫ヶ城、関城、高陽城 〜
北国街道上の要衝である上越地域を重要視した徳川家康は、1613年(慶長18年)に六男・松平忠輝に築城を命じました。堀家単独の事業であった福島城に対し、高田城は幕府の事業でである「天下普請」として、有力大名13名が総力を挙げて取り組みました。その結果、わずか4か月足らずで越後一国と北信濃までの一部をも治める巨大城郭が誕生したのです。高田城には、石垣や天守閣がありませんでした。これは、この城が戦や権威の象徴ではなく、広大な城下町を従える巨大行政府であったことを物語っています。高田城の見どころとしては、本丸を囲んで全長1kmにも及ぶ「土塁」や高田城のシンボル「三重櫓」、二の丸と本丸の間の内堀を渡る橋としてつくられた「極楽橋」などがあります。また、城の中央にある「本丸御殿」は、政治や儀式が執り行われ、藩主とその家族の住居として使われていました。(資料 高田城三重櫓内にて展示の案内板より)
JR信越本線高田駅  高田駅前の通り…まっすぐ高田公園(高田城址)方向へ伸びる  途中にこんな看板が…
   
お馬出公園とその説明板…この公園が周辺の住宅地より低い位置にあるのは昔ここが馬出の堀だったから、との説明がある。 高田公園の標示…奥にハスの堀が見え
大手橋跡の右側の堀(外堀)  「史跡 高田城の大手橋跡」の碑…  西堀を隔てて右側に高田城跡が見える…前方奥に「西堀橋」が見える
 南側の山並…飛び出てるのは妙高山? 4代藩主 松平光長公時代の絵図…大手橋跡に設置の案内板より
     
 旧三の丸部分…現在は上越市営陸上競技場とテニスコートが…
 
南堀側から土塁上の三階櫓を見る…
 
極楽橋から左(北西)側を見る…
 
極楽橋…当初は二の丸から本丸に通じる木橋として設けたが、陸軍第13師団によって土橋に切り替えられた。
…平成14年に復元された。真ん中の写真は橋上から右を、また、一番右の写真は左側を見たもの。
三重櫓に展示されていた、極楽橋と本丸の本城御門復元推定図…   
  
  極楽橋から三重櫓を見る… 三重櫓に展示の資料によると、「御橋幅 三間に弐拾三間」と記される見事な太鼓橋でした、との説明がありました。
     
 極楽橋を渡り、左側を見る…
 
 極楽橋を渡り右側を見る…土塁の名残のようにも見えるが  「史跡 本丸跡」の標示柱…奥に見えるのは上越教育大学付属中 極楽橋、三重櫓、桜見本園の標示柱… 
     
 三重櫓内の資料展示場にあった因幡丹後守時代の絵図…  極楽橋方向を振り返り見る… 
      
 この石は、極楽橋の本丸側橋台に使用されていたものと推測されるとのこと…
 
 三重櫓入口の階段…  三重櫓を真下から見上げる…
     
 本城堀側を見る…
 
 南堀側、妙高山側を見る… 南側の山脈群…
     
 西側方向を見下ろす…  上越教育大学付属中学校と手前の土塁を見下ろす…  三重櫓入り口階段の横の部分…筑地塀になっている(土塁の上)
 櫓内部…ピッカピカの床でした 上越市が平成3年(1993年)に再建した。外観を松平光長「本丸御殿絵図」、規模を稲葉正通時代の「高田城図間尺」をもとにして復興された由。
      
 こちらもきれい…
 
妙高山〜火打山の山脈…  内堀と外堀との間の公園部分に見事な紅葉が…
     
 西堀のハス…  西堀橋…外堀に架かる 西堀橋と記した石が…
     
アクセスJR信越本線 高田駅から、徒歩約20分ぐらい。
 ※「高田城ー北国街道上の要衝の、天下普請の城」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。

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